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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

7 件 (全巻)/ 1–7件を表示

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旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 300日記・戦況記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛明日記

十二日、島原城から足軽大将十八組を出し、三会村内の杉谷米蔵から兵糧を取り入れようとした。一揆勢が山上に旗を立てて構えたため作業は進まず、十三日条へ続く。

登場人物
島原城足軽大将十八組、三会村の者
宛先
該当なし(日記記事)
キーワード
寛明日記、島原城、杉谷米蔵、兵糧、足軽大将、一揆
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 307-3記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

水野日向守が二十六日の総攻めの触れを聞き、子の美作守と孫の伊織助に、鬨だけを上げて控えるのではなく先手として働く覚悟を問う。美作守は、伊織助の初陣でもあり、軍法に背くことになっても先手が乗り込むのを見物することはできないと誓う。日向守は家老・組頭・足軽大将・武者奉行・旗奉行・馬印奉行らを呼び、鍋島勢が塀へ攻め掛かって損害を受け人数が減る時を見計らい、後方から二の丸へ押し入り本丸を第一に乗り取る作戦を命じた。本丸を落とせなければ自分を駕籠ごと塀内へ投げ入れよと述べ、父子討死の覚悟と若者の奮戦を促し、旗・馬印奉行の心得を特に重視した。しかし二十四日夕方から車軸を流す大雨となり、触れを出すまでもなく攻城はいったん中止された。

登場人物
水野日向守、美作守、伊織助、上田玄蕃、広田図書、中山将監、中山壱岐、杉野数馬、浅沼舎人ほか家老・組頭・足軽大将・武者奉行・旗奉行・馬印奉行
宛先
水野家の子・孫および家臣団
キーワード
水野日向守、二月二十六日、総攻め、美作守、伊織助、初陣、軍法、家老、組頭、足軽大将、武者奉行、旗奉行、馬印奉行、鍋島勢、二の丸、本丸、駕籠、討死覚悟、二月二十四日、大雨、攻城中止
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 307日記・戦況記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛明日記

十三日、兵糧を取り出すために出た島原方の人数が敗北し、足軽大将ら多数が討死した戦況を記す。翌十四日には四郎時貞が五千人を率いて天草へ渡海し、上津浦へ加勢した。

登場人物
足軽大将入江平左衛門、高島治太夫、高橋弥右衛門、四郎時貞
宛先
該当なし(日記記事)
キーワード
寛明日記、兵糧、島原方敗北、四郎時貞、五千人、上津浦
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 304集書・戦況記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤掛集書

島原の杉谷で松倉衆が一揆勢に追い立てられ、鉄砲を取り逃がした者を処罰した経過を記す。城中へ鉄砲・玉薬を入れ、狭間を守り、杉谷の米を城へ取り込む備えを立てたうえで十四日条へ続く。

登場人物
藤掛勘九郎、松倉衆、三会村の一揆勢、足軽大将
宛先
該当なし(集書記事)
キーワード
藤掛集書、杉谷、松倉衆、鉄砲、玉薬、米蔵
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0033合戦日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

岩剣合戦日記

十三日の辰刻から午刻にかけて、川辺・鹿児島の足軽が脇元の人家を焼き、出てきた敵を痩五郎坂で迎えたと記す日記。味方の足軽大将は梅北宮内左衛門と宅間与八左衛門で、川辺衆が交替して戦い、兄弟の隊も坂口へ向かった。敵が八つの群れで登るとの報告を受け、谷山衆などが弓で坂を追い下して、味方は支障なく引き上げたという。

登場人物
梅北宮内左衛門、宅間与八左衛門、川辺足軽、鹿児島足軽、谷山衆
宛先
—
キーワード
岩剣合戦日記、十三日の辰刻から午刻、脇元の放火、足軽の交替戦、兄弟隊の坂口配置、谷山衆の弓射
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0124自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

箕輪伊賀自記

高原城攻略を述べる自記。天正四年、高原を急いで攻めると決まり、小林・温水・三山へ軍勢を置いて野尻の側から進んだ。義久・忠平の三万余騎と、一雲の八千余騎が出勢し、八月十六日に高原を包囲して火矢を射た。柏原将監が橋で防戦する中、新納刑部太輔は小楯を持って城戸口へ突入し、多くの傷を受けながら打刀で戦って退いた。名を尋ねた足軽大将漆豊前介が勇士として称え、他の薩摩の兵も高名を立てたという。

登場人物
箕輪伊賀、島津義久、兵庫頭忠平、北郷入道一雲、白坂式部承領、新納武蔵守忠元、新納刑部太輔、柏原将監、漆豊前介
宛先
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キーワード
箕輪伊賀自記、天正四年の高原攻め、三万余騎、八千余騎、八月十六日の包囲、火矢、防戦、忠元の子の負傷、打刀と小楯、勇士の称賛
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0125勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

天正四年、近衛龍山の下向に伴う歌会へ忠元も召されたことに続き、高原城攻略の働きを記す。八月十六日の戦いで二十三歳の忠堯は小楯を持ち打刀で突入し、首を得たが多くの傷を負った。十八日の落城時、足軽大将漆豊前介がその名を尋ねて勇士と称えた。高原の落城後は三之山・温水・須木など七城が退去し、忠元は勝利の祝いに参じ、太刀を進上した。

登場人物
新納忠元、新納忠堯、新納刑部太輔、近衛龍山前久、貴明、漆豊前介、川田駿河守義朗
宛先
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キーワード
新納忠元勲功記、近衛下向の歌会、高原城攻略、二十三歳の忠堯、小楯と打刀、首級、負傷、十八日の落城、七城の退去、勝利祝い、太刀進上