喜入久政・川上久晴連署名寄目録
元和六年五月十三日 / 冊子 732頁
上小河院内の田地について、田ごとの面積・籾高・石高を記し、蒲地四郎左衛門に宛てた喜入久政・川上久晴連署の名寄目録。
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元和六年五月十三日 / 冊子 732頁
上小河院内の田地について、田ごとの面積・籾高・石高を記し、蒲地四郎左衛門に宛てた喜入久政・川上久晴連署の名寄目録。
年月日未詳 / 冊子 425~426頁
花、残月、雁、竹、秋風、旅、鹿、柴橋、長雨、恋、鷹野などを題材に、多数の連衆が詠み継いだ『賦初何連歌』。一部は欠損している。
年月日未詳 / 冊子 426~427頁
雪、旅人、鈴鹿路、松間の月、霧、砧、浮れ女、市、柴、渡し舟、相坂関、志賀山などを詠み継いだ『賦何木連歌』。
年月日未詳 / 冊子 593頁/原整理番号 642
新納小右衛門久盛・中村源介・治木松右衛門・東郷宗兵衛らが各自の家僮を伴い、同四郎三郎久晴らとともに米之津へ到着したことを記す。
天文23年9月、天正6年、天正14年12月8日、文禄4年7月18日、慶長元年5月23日、慶長4年12月8日、慶長6年8月9日、慶長14年、慶長19年、承応2年6月5日、元禄4年 / 冊子 23~26頁/原整理番号 8
出自不詳ながら、信濃守重宣の孫・丹波守実親の弟である部左衛門親行の法名ではないかと考証される古簾(道号越岩、異伝では越山永超居士)を祖とする本田氏系図。親尚は日新公に奉仕して戦功を重ね伊集院地頭となり、親吉は日新公・貴久公に仕えて感状を受けた。親貞は兄の死後、太守の命で正嫡を継ぎ、義久の家老、吉田・加世田等の地頭となり、吉野・磯を領して家臣を配置し、岩剣城攻め、大友氏の日州侵攻、九州征伐で軍務を担った。後裔について、豊後戸次城下・瀧ヶ水・庄内安永での戦死、九州・高麗・庄内役、琉球征伐・大坂の陣、曽木・福山等の地頭職、大坪流馬術の相伝、婚姻・養子関係を記す。
現行年紀:壬七月廿二日 補記(正文と別層):永和二年 / 冊子 99頁/原整理番号 166/整理ID KW1-P01-39f4516f-D0166
嶋津上総介の事を京都へ注進したが、今は氏久に同心していると述べ、再び協力を求める。 大将兵部大輔が越えて来たら一所で談合すること、参陣について京都へ申し入れたことを伝える。