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HP-0681巻8:140公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

児玉筑後守利昌

異名・検索語:児玉利昌/児玉筑後守利昌/筑後守

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

児玉筑後守利昌は新四郎利貞の子。自身で朝鮮へ渡り、二十石の加増を受けた。東郷重位の門人で、慶長二年十二月八日に示現流を皆伝したと記す。庄内の陣に供奉し、琉球への出兵にも出立した。国分では御船奉行・兵具奉行・納殿役を務め、姶良地頭となった。寛永十六年五月二十日没。墓は興国寺にあると記される。末尾には花を詠んだ利昌の和歌を載せる。

系譜・人物関係

児玉新四郎利貞の子。筑後守利昌。東郷重位は剣術の師であり、本人の異名ではない。新四郎利貞・示現流・役職名を異名欄から区別して関係・検索語へ整理。母・妻・生年・享年の明記はない。

奉公・役職

朝鮮へ自身にて罷渡り御高二十石御加増。国分に於いて御船奉行・兵具奉行・納殿役。姶良地頭。各役の就任年月や主君名は本文に明記がないため補わない。

軍役・事績

朝鮮渡海、庄内御陣御供、琉球入に罷立と記す。単独行動を意味する単身とは断定しない。東郷重位の門人で慶長二年十二月八日に示現流致皆伝。末尾に題花、時シアレハ盛モトシキ花ニキテカヘサ忘ルゝ今日ニコソアレ、利昌署名の和歌があり、辞世とする見出しはない。和歌細字の解釈は保留し花を詠む一首の存在のみ公開文に採る。

生没・法名等

寛永十六年五月廿日卒、墓は興国寺。法名小字は芳山源量居士と仮読するが薄い字形があり確定を保留。没地の明記はなく、墓所と区別。生年・享年は補わない。

統合人物ID
HP-0681
原人物ID群
08-140-01
氏・分類
児玉
掲載巻頁
巻8:140
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
児玉新四郎利貞の子。筑後守利昌。東郷重位は剣術の師であり、本人の異名ではない。新四郎利貞・示現流・役職名を異名欄から区別して関係・検索語へ整理。母・妻・生年・享年の明記はない。
検索キーワード
児玉利昌/筑後守/新四郎利貞子/朝鮮渡海/二十石加増/東郷重位門人/示現流皆伝/慶長二年十二月八日/庄内御陣/琉球入/国分/御船奉行/兵具奉行/納殿役/姶良地頭/寛永十六年五月二十日没/興国寺墓/花の和歌
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
AI全1頁を視読し原冊子140頁上段・第13集-2.pdf74頁と照合。〇児玉筑後守利昌から法名・墓所・花の和歌と利昌署名まで連続。〇重位門人・庄内・琉球・国分諸役・没年はいずれも同人の続記事で独立人物ではない。次の児玉氏人物の独立見出しを含まない。PDF変更・新規採番なし。
判読保留
加増二十石と墓興国寺を確認。法名は芳山源量居士の仮読に留め、公開文には採らない。末尾和歌の細字解釈を保留し、辞世と断定しない。旧単身渡海を自身で渡海へ修正。旧出典PDF152頁を第2分冊74頁へ訂正。師・父・流派・役職を本人異名から分離。確定事績で公開可。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』