HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
市来家朗
異名・検索語:市来家朗/市来備前守家朗/備前守/家朗/小四郎
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
原見出しの諱は原冊拡大で家朗と確認し、従来の家親を訂正。人物ID HP-0652を維持し、次項の家親HP-1892とは統合しない。/戦死月は十一月のように見えるが、十の次の字がかすれているため月は確定留保。二十三日・天正八年・五十三歳は確認できる。奉公先の主君名は本条に明記されない。
DESCRIPTION
本文内容説明
市来備前守家朗、小四郎。父が戦死した時は十一歳で、御前に召し出され、父が大切な御用を果たしたとして腰物を拝領した。成長後、日向松山地頭を命じられ、福島南郷のうち十三町を与えられた。天正六年九月下旬には、佐土原の番として肥後山城守とともに派遣され、同年の大友氏との戦いで軍功を挙げた。天正八年、肥後矢崎城で戦死し、五十三歳と記される。末尾の「其子」は次項の玄蕃左衛門尉家親へ続く。法名・墓所は本条に記されない。
系譜・人物関係
諱は家朗。従来家親は誤読訂正。備前守、小四郎。父戦死時十一歳、末尾其子は次項家親(玄蕃左衛門尉、HP-1892)へ接続する。
奉公・役職
日州松山地頭。福島南郷内十三町拝領。父の戦死後十一歳で父の大切な御用を賞され腰物を拝領。天正六年九月下旬佐土原番、肥後山城守と同派遣。
軍役・事績
天正六年大友との一戦で軍労。天正八年肥後矢崎城で戦死。次家親の水俣・佐敷・島原軍歴とは別。
生没・法名等
天正八年、肥後矢崎城戦死、五十三歳。日廿三。没月は十一月様だが十の次字がかすれ、確定留保。法名・墓所不記載。
- 統合人物ID
- HP-0652
- 原人物ID群
- 01-014-05
- 氏・分類
- 市来
- 掲載巻頁
- 巻1:14
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 諱は家朗。従来家親は誤読訂正。備前守、小四郎。父戦死時十一歳、末尾其子は次項家親(玄蕃左衛門尉、HP-1892)へ接続する。
- 検索キーワード
- 地頭/戦死/肥後/子/父/歳/系譜・軍役/家朗/備前守/小四郎/福島南郷/佐土原/矢崎城
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全1頁・原冊14頁と姓名/戦死月拡大・修復通常AI各1頁を再照合済み。
- 公開判定根拠
- 家朗への姓名訂正、地頭・軍役・戦死年と場所を確認。没月等の疑義を明示して検索案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- AI全1頁と原冊を確認。○市来備前守家朗・小四郎、父戦死時十一歳、地頭給地、佐土原・大友軍功、矢崎城戦死・五十三歳・其子まで保持。左1.5pt拡張で時軍労以下の左端余白確保。原冊で其子が次○玄蕃左衛門尉家親へ接続すると確認。次条は既存別IDを維持、本文混入なし、新番号不要。
- 判読保留
- 原見出しの諱は原冊拡大で家朗と確認し、従来の家親を訂正。人物ID HP-0652を維持し、次項の家親HP-1892とは統合しない。/戦死月は十一月のように見えるが、十の次の字がかすれているため月は確定留保。二十三日・天正八年・五十三歳は確認できる。奉公先の主君名は本条に明記されない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』