後編1-No.1118記事確認度 高
殉国名薮
天正八年五月十五日~十月十五日 / 冊子 646頁
天正八年五月十五日の岩牟礼城攻めと十月十五日の矢崎城攻めなどで戦死した島津方の諸士を列挙する名簿。入来院重豊は病気で出陣できず、山口重秋・種子田秀高らに従兵五千余を付けて出陣させたことも記す。
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天正八年五月十五日~十月十五日 / 冊子 646頁
天正八年五月十五日の岩牟礼城攻めと十月十五日の矢崎城攻めなどで戦死した島津方の諸士を列挙する名簿。入来院重豊は病気で出陣できず、山口重秋・種子田秀高らに従兵五千余を付けて出陣させたことも記す。
正月29日(写) / 冊子 337~338頁/原整理番号 130-22
河上氏文書のうちから正月二十九日に写した別紙の某覚書。大隅国の吉内左衛門尉家長に関わる山城守の許可、松山地頭となった人物が和泉から日新斎へ供奉して中村に居住した由緒、羽月居住者と貴島常陸一族、南郷氏との争い・永吉での討死、薩州時代に小湊を領した人物、市来助次郎の曾祖父山城守の妹婿にあたる和泉の市来氏など、一族・姻族の関係を伝える。付随系譜は九代家政が次郎左衛門尉・山城守を称し、法名を長盛としたことを記す。