HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
市来家諸
異名・検索語:市来家諸/市来加賀守家諸/加賀守/家諸/市来民部大輔家諸(同人未確定)
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
天正十一年比の在任記事への係り方、および加賀守と別掲民部大輔家諸の同人関係は未確定。文禄三年二月廿八日戦死とあるが、どの陣かは本文付記も不明とする。二つの小項目に到達できるよう注記付き公開。
DESCRIPTION
本文内容説明
市来家諸。加賀守を称し、出水の義虎の家老。永禄頃から高尾野地頭と記され、直後に「天正十一年比」とあるが、在任終期かどうかは確定しない。文禄三年二月二十八日に戦死したと記す一方、付記はどの陣であったか不明としている。別の小項目には「市来民部大輔家諸、元亀比御使衆」とある。従来は同一人物にまとめられているが、加賀守との同人関係は留保し、御使衆歴を確定経歴としては扱わない。父祖・子孫、知行、生年・享年・法号・墓所は記されない。
系譜・人物関係
市来氏、加賀守。出水義虎の家老。別掲の民部大輔家諸との同人確定は留保。父祖・子孫は不記載。
奉公・役職
出水義虎之家老也。永禄之比ヨリ高尾野地頭、続いて天正十一年比と記す。別小項目は一市来民部大輔家諸元亀比御使衆。別項の奉公を加賀守本人の確定経歴とはしない。
軍役・事績
加賀守の記事は文禄三年二月廿八日戦死と記す。具体的な戦闘経過・戦功は不記載。
生没・法名等
文禄三年二月廿八日戦死の記載。付記自体がどの陣か不明とする。没地・享年・法号・墓所は不記載。天正十一年比は高尾野地頭記事の直後であり、別の戦死年と断定しない。
- 統合人物ID
- HP-0651
- 原人物ID群
- 01-016-06
- 氏・分類
- 市来
- 掲載巻頁
- 巻1:16
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 市来氏、加賀守。出水義虎の家老。別掲の民部大輔家諸との同人確定は留保。父祖・子孫は不記載。
- 検索キーワード
- 市来家諸/市来加賀守家諸/出水義虎/島津義虎/高尾野/家老/地頭/永禄/天正十一年比/文禄三年二月二十八日/戦死/市来民部大輔家諸/元亀/御使衆
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全2頁・通常全2頁・原冊16頁・修復通常AI各2頁照合済み。
- 公開判定根拠
- 主君・地頭・戦死日の記載を全頁原冊照合。同人未確定の別小項目を区別し、未確定事項を明示して検索公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- AI全2頁・通常全2頁・原冊16頁(第1分冊27頁)・拡大・修復通常AI各2頁を照合。第1頁は加賀守家諸2列と付記、第2頁は朱括弧の独立小項目民部大輔家諸1列。原冊再切出しで第1頁注記左余白と第2頁朱記を保持。従来の2記事収録とIDを維持するが同人関係は留保し、別人と断定できないため新規採番なし。隣接肥前守・嘉兵衛本文は含めない。
- 判読保留
- 高尾野地頭に続く天正十一年比の係り方・在任終期は未確定/別掲の民部大輔家諸は従来同一人物に統合されているが、加賀守家諸との同人確定は留保/戦死した陣は本文付記自身が不明としており、没地を補わない
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』