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HP-0513巻9:155~156注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

佐多忠充

異名・検索語:佐多忠充/佐多伯耆守忠充/伯耆守/長寿丸/又太郎/月山高松庵主

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:複数回の知行高・返地・召出しの細部、家臣名の一部は追加校合を要する。数値を無条件に合算しない。/見出し脇の忠泰と読める小注は字形と位置付けを留保し、確定異名に追加しない。母方の祖父の家久と後年の奉公主の家久を同一人物として整理しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

天正十六年生まれ。久慶の嫡子で、母は島津中務大輔家久の二女。幼少期の志和地山田城攻めは叔父久英、関ヶ原は一族久朝が軍代を務めた。家久に仕え、犬追物の射手をたびたび勤めた。慶長十五年に知覧本領を返付され、翌年川辺宮村から鹿児島へ移住。一族久信を知覧の地頭代に置いた。譜代衆の困窮を訴えて返地を願い、家臣の召出し・知行をめぐる折衝も行った。慶長十九年冬、大坂出陣に五十八人を率いて従った。知覧地頭を兼帯し、元和八年には地頭の任地居住を命じる書状を受けた。寛永九年十一月十一日、四十五歳で没。法名は月山高松庵主。没地・墓所は当条に記されない。

系譜・人物関係

佐多久慶の嫡子。母は島津中務大輔家久の二女。叔父久英・一族久朝が幼少時の軍代を務めた。両人の戦功や父久慶の朝鮮軍役を忠充自身の行為としない。

奉公・役職

島津家久に奉公。犬追物射手をたびたび務め、知覧本領返付後は鹿児島へ移住。久信を知覧の地頭代とし、後に本人も知覧地頭を兼帯。

軍役・事績

慶長十九年冬の大坂出陣に五十八人で従軍。譜代衆の困窮を訴え返地を願い、家臣の召出し・知行・移住をめぐり折衝した。元和八年の地頭任地居住の命令を受ける。

生没・法名等

天正十六年生。寛永九年十一月十一日、四十五歳没。法名月山高松庵主。没地・墓所は当条に記されない。

統合人物ID
HP-0513
原人物ID群
09-155-02
氏・分類
佐多
掲載巻頁
巻9:155~156
主題・活動
犬追物射手・知覧本領・地頭職・大坂出陣・家臣処遇
人物関係要約
佐多久慶の嫡子。母は島津中務大輔家久の二女。叔父久英・一族久朝が幼少時の軍代を務めた。両人の戦功や父久慶の朝鮮軍役を忠充自身の行為としない。
検索キーワード
佐多忠充/久慶/久英/久朝/家久/知覧本領/川辺宮村/鹿児島移住/地頭代/久信/犬追物/大坂出陣/五十八人/譜代衆/任地居住/月山高松庵主
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
旧AI全3頁・原冊155~156頁・修復全3頁確認済。知行詳細・見出し小注等は留保。
公開判定根拠
本人と軍代の行為を区別し、知覧本領返付・鹿児島移住・地頭職・大坂五十八人・没年を本文から整理。知行細部等の疑義を付して検索公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
本人条全3頁。第1頁は右小注を回収し、右下の前人物小片のみ白マスク。第2頁の軍代・知行・奉公記事を保持。第3頁は末尾法名まで保持し、後続の○佐多丹波守忠治を除外。新規人物分割なし。
判読保留
複数回の知行高・返地・召出しの細部、家臣名の一部は追加校合を要する。数値を無条件に合算しない。/見出し脇の忠泰と読める小注は字形と位置付けを留保し、確定異名に追加しない。母方の祖父の家久と後年の奉公主の家久を同一人物として整理しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』