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HP-0436巻8:137~138注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

五代右京亮惟宗友慶

異名・検索語:五代右京亮惟宗友慶/五代友慶/惟宗友慶/右京亮/友慶/勝左衛門/月松全春居士

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:長文系譜の細字人名と世代関係、墓所小注の寺院名は追加校合を要する。/木崎原戦功による二百石の土地名の字形は留保。長島警衛の褒賞二百石と別件として扱う。/長島退去を指示した忠行公の人物同定、書状の細部は未確定。没地は病死の記述から補わない。

DESCRIPTION

本文内容説明

天文九年生まれ。永禄七年、惟新に従い飯野へ移った六十人の一人。御使役・家老役、馬関田地頭を務めた。木崎原合戦では四十人を率いて白鳥山麓に伏兵し、伊東加賀守を討って新恩地二百石を得、討死の場所に供養の石塔を建てた。天正十八年は久保の小田原陣に供奉した島津十六騎の一人。文禄三年の検地で与えられた五百石は久四郎忠清へ差し出した。慶長五年、加藤清正の出水侵攻に際して長島を警衛し、退去の指示を受けても守り抜き、義弘から二百石を賞された。関ヶ原後、家久の初上洛に供奉。また義弘の姫の松平定行への婚姻に伴い遠州掛川へ赴いた。寛永三年七月二十七日、八十七歳で病死。法号は月松全春居士。

系譜・人物関係

惟宗氏・鹿児島氏につながる五代氏の系譜を載せる。家系部分の祖先の経歴を友慶本人の事績にしない。久四郎忠清への五百石進上は記すが、本文にない親族関係を付加しない。

奉公・役職

惟新に従い飯野へ移住。御使役・御家老役、馬関田地頭。久保の小田原陣、家久の初上洛に供奉。

軍役・事績

木崎原合戦で四十人を率いて伏兵し伊東加賀守を討つ。二百石拝領と石塔供養。検地の五百石は久四郎忠清に進上。長島警衛で二百石。義弘姫の婚姻に際し掛川へ供奉。

生没・法名等

寛永三年七月二十七日病死、八十七歳。法号月松全春居士。墓所小注の寺院名は追加校合、没地は明記と認められない。

統合人物ID
HP-0436
原人物ID群
08-137-12
氏・分類
五代
掲載巻頁
巻8:137~138
主題・活動
御使役・家老役・馬関田地頭・木崎原合戦・小田原供奉・長島警衛
人物関係要約
惟宗氏・鹿児島氏につながる五代氏の系譜を載せる。家系部分の祖先の経歴を友慶本人の事績にしない。久四郎忠清への五百石進上は記すが、本文にない親族関係を付加しない。
検索キーワード
五代友慶/惟宗/勝左衛門/飯野/御使役/家老役/馬関田地頭/木崎原合戦/白鳥山/伊東加賀守/小田原陣/島津十六騎/久保/久四郎忠清/長島警衛/家久/掛川/月松全春居士
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
旧AI全3頁・原冊137~138頁・修復全3頁確認済。系譜細字・墓所寺院名等は留保。
公開判定根拠
御使役・家老役・馬関田地頭、木崎原・小田原軍役、長島警衛と没年を本文から整理。系譜細字・墓所等に疑義を付して検索公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
五代友慶の見出し・初名と二条の小注、五代氏家系と系図、本人経歴から法号まで各3頁で保持。冊138頁の○五代勝左衛門友泰以下は別記事で除外。既存IDを維持。
判読保留
長文系譜の細字人名と世代関係、墓所小注の寺院名は追加校合を要する。/木崎原戦功による二百石の土地名の字形は留保。長島警衛の褒賞二百石と別件として扱う。/長島退去を指示した忠行公の人物同定、書状の細部は未確定。没地は病死の記述から補わない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』