HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊東玄宅
異名・検索語:伊東玄宅/伊東壱岐守 入道玄宅/壱岐守/玄宅
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
「御馬逸物」の語義と野田の役職表記は留保。野田の役と出水境役の関係は本文編者の推測。没年月日・没地は不記載。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊東玄宅(壱岐守)。井尻常陸坊の三男で、伊東氏に改めたと記す。慶長2年11月、13歳で高麗へ向かい、隈之城の大源寺で年を越して翌年正月に到着し、忠恒公に召し仕えた。明軍が泗川を攻めた際、玄宅は水を二度忠恒公へ差し上げ、幼少ながら替えの太刀を持ち、切出しにも付き従った。遅れた際には家来たちが敵の馬を奪って玄宅を乗せ、晋州まで至ったという。同年11月帰朝。羽月長野系図は野田の役を記し、編者は野田が元は出水の内であることから出水境役であろうかと推測する。慶長15年に家久公の江戸参府へ供奉し、同20年には出水境役を命じられた。没年・没地は不記載。「御馬逸物」の語義と野田の役職表記は留保する。
系譜・人物関係
前項の井尻(巻一原見出し伊尻)常陸坊HP-0096の三男と細字注記。伊東氏に相改と記す。
奉公・役職
忠恒公御城に召し仕える。幼少ゆえ御指替之御太刀を持つ。慶長15年家久公江戸御参府供奉、同20年出水境役被仰付。地頭との明記はない。
軍役・事績
慶長2年11月十三歳で高麗渡海に向かい、隈之城大源寺で越年、翌年正月高麗着船。同年明中泗川を攻むる際の鉄炮防戦、水を二度忠恒公へ献じる。切出し供奉後に遅れ、家来共が敵馬を奪い玄宅を乗せて晋州まで。同年11月帰朝。羽月長野系図は野田の役を記すが、編者は出水境役かと推測する層を区別。
生没・法名等
没年月日・没地・享年・法名の記載なし。入道玄宅が見出し。十三歳は渡航時の年齢であり享年でない。
- 統合人物ID
- HP-0086
- 原人物ID群
- 01-017-05
- 氏・分類
- 伊東
- 掲載巻頁
- 巻1:17
- 主題・活動
- 朝鮮役・給水・太刀持ち・江戸参府・出水境役
- 人物関係要約
- 前項の井尻(巻一原見出し伊尻)常陸坊HP-0096の三男と細字注記。伊東氏に相改と記す。
- 検索キーワード
- 伊東玄宅/壱岐守/入道玄宅/井尻常陸坊/三男/HP-0096/隈之城/大源寺/高麗/泗川/晋州/忠恒公/家久公/給水/太刀/敵馬/野田/出水境役/江戸参府
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全1頁・通常全1頁・原冊17頁・親族と役職の拡大を照合済み。
- 公開判定根拠
- 全頁照合で父子関係・渡航経路・軍役主体・境役を具体化。語義・役職表記は留保して注記付き公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- AI・通常各全1頁、原冊17頁(第1分冊28頁)と高解像度の見出し・役職注記を確認。○伊東壱岐守入道玄宅、細字常陸三男から、同廿年出水境役被仰付候までの連続した独立小項目。前項常陸坊の三男にあたる関連人物だが既存独立IDを維持。右の甚六の戦死・左の井尻八郎の朝鮮記事を含めない。ページ番号以外に意味をなす他人物本文の混入や本人本文の欠落なし。両PDF・旧OCR・ID維持。
- 判読保留
- 御馬逸物の語義を留保し、馬が逸走した・家来の馬を取り返したとは訳さない/野田の役職は曖役に見えるが字形・呼称を留保。出水境役との同一視は本文編者の推測
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』