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HP-0080巻1:4~5注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

伊地知重政

異名・検索語:伊地知重政/伊地知縫殿介重政 入道雪津/縫殿介/重政/雪津

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:母の姓・父名字形、母への二字下賜に関する小注、重政の法名・墓寺名・没日と朱記対応、生年と没齢の不整合。/重順出生月朱異記、所領末尾壱、倉岡石高イ六注、奉行名細字、寺社奉行追記と松齢公の称号等。 本文に記された内容と確定した事実を同一視せず、出典も併せて確認してください。

DESCRIPTION

本文内容説明

伊地知重政は重興の子。縫殿介を称し、入道名は雪津。天文九年七月三日生。和歌を好み、身体の不自由を理由に早く入道したと伝える。元和四年に没し、倉岡に墓があると記すが、生年と小注の没齢は整合しない。後半は嫡子佐渡守重順の事績で、十二歳で水俣の陣に出て、堅志田・利満城攻めなどで先登の功を立てた。朝鮮渡海では奉行・船奉行を務めたが、文禄三年に勘気を受け、大隅持留の知行二千七百石余を没収され七年間浪人した。慶長八年、高野山滞在中に召し返され新地五百石を拝領し、物頭・地頭相談役として高岡へ移った。後に倉岡地頭となり、倉岡番を二十一年勤め、寛永十九年十月二十二日に倉岡で七十三歳で没した。石田三成から贈られた歌書、出陣祈願や刀・経典の寄進に関する家伝も付す。

系譜・人物関係

重政は伊地知重興の子。虎太郎・又九郎、縫殿介を称し、入道名は雪津。諱には昌の異記がある。母の実家名は字形未確定。嫡子は佐渡守重順で、その母は肝付左馬頭良兼の嫡女。

奉公・役職

重政は和歌を好み、身体の不自由から早く入道したと記す。重順は文禄二年の朝鮮渡海で奉行・船奉行を務めた。文禄三年に勘気を受け、大隅持留の知行二千七百石余を召し上げられ七年浪人。慶長八年春、高野山滞在中に召し直され新地五百石を拝領、物頭・地頭相談役として高岡へ移る。同十三年倉岡へ移り地頭となり、倉岡番二十一年を勤めた。奉行名の細字と石高異記は保留。

軍役・事績

重順は天正九年八月、十二歳で水俣の陣に脇大将として出陣。同十二年十月、堅志田城攻めに百五十人を率いて先登の功を立てた。同十四年十月、豊後へ百三十人を率いて家久の手勢として出陣し、十二月七日の利満城攻めと十二日の城下での戦闘でも軍功を挙げた。石田三成から歌書を贈られた由来、出陣祈願、黒尾権現への太刀と正八幡宮への法華経寄進の家伝を付す。

生没・法名等

重政は天文九年七月三日生、元和四年没。小注の年八十九は生年と整合せず、没月日と朱記の対応・法名・倉岡の墓寺名は保留。国分鳥越の墓は母の小注に係り、本人の没地ではない。重順は寛永十九年十月二十二日に倉岡で七十三歳で没した。法号の末尾称号は保留。

統合人物ID
HP-0080
原人物ID群
01-004-05
氏・分類
伊地知
掲載巻頁
巻1:4~5
主題・活動
和歌・入道・嫡子重順の軍役と復帰
人物関係要約
重政は伊地知重興の子。虎太郎・又九郎、縫殿介を称し、入道名は雪津。諱には昌の異記がある。母の実家名は字形未確定。嫡子は佐渡守重順で、その母は肝付左馬頭良兼の嫡女。
検索キーワード
伊地知/重政/重興/虎太郎/又九郎/縫殿介/雪津/重順/佐渡守/肝付良兼/和歌/入道/水俣/堅志田/利満/朝鮮/船奉行/持留/浪人/高野山/五百石/物頭/地頭相談役/高岡/倉岡/石田三成/歌書/黒尾権現/正八幡宮
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI用PDF全頁精読・境界確認済み(判読保留あり)
公開判定根拠
全頁精読・境界確認済み。記載箇所に案内できるため、判読・系譜等の留保を注記して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
本文境界判定
冊子4頁下段の〇伊地知縫殿介重政から5頁下段の寺社奉行追記までAI全3頁。第1頁右端の諱異記イ昌を復元し第2・3頁は内容・描画とも旧版と一致。其嫡子以下の重順と祈願・寄進等付記は関連内容。次の独立見出し重秀は含まず、新番号不要。
判読保留
母の姓・父名字形、母への二字下賜に関する小注、重政の法名・墓寺名・没日と朱記対応、生年と没齢の不整合。/重順出生月朱異記、所領末尾壱、倉岡石高イ六注、奉行名細字、寺社奉行追記と松齢公の称号等。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』