HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊集院久治
異名・検索語:伊集院久治/伊集院下野守久治/下野守/抱節/興善院殿龍岳盛真居士
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:根占地頭には牛根の異記がある。見出し脇の三郎兵衛尉・右衛門尉を父の官途と決め付けない。/法名の盛には成の朱異注がある。国分野口村の塔所在地は没地の根拠としない。/慶長十二年の病死記事と、寛永十一年十二月晦日の老臣選定記事が併記される。後者を生前の活動としない。追顕か、年次異記か等の事情は本条だけでは確定しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊集院久治は久道の子で、下野守、入道抱節。羽月飛田瀬で歳久とともに戦い、根占・肝付方面でも働いた。根占地頭(牛根との異記あり)、日向福島地頭・御使役を務めた。肥後合志では城中へ一番に入り敵将大津源左衛門を討ち、自らも顔に傷を受けた。岩屋攻め、家久に従う豊後出陣、根白坂にも従軍し、文禄元年頃に家老となった。同二年に朝鮮へ渡り、翌年は義弘から援軍の物主を命じられ、釜山海辺の敵船撃退に功があった。慶長三年の泗川合戦では紺糸の鎧を着けて組頭を務めた。同十二年十月二十八日、七十余歳で病死。没地は記されず、国分野口村の畠に塔があると記す。法名は興善院殿龍岳盛真居士(盛に成の異記)。末尾に寛永十一年の老臣選定記事もあるが、没後の年次であり選定の事情は不明。
系譜・人物関係
久道の子、下野守、入道抱節。見出し脇の官途小字の父への帰属は確定しない。
奉公・役職
根占(牛根異記)地頭、日向福島地頭、御使役、文禄元年頃家老。義弘の朝鮮援軍物主、泗川の組頭。
軍役・事績
羽月飛田瀬で歳久と軍功。根占・肝付、肥後合志で敵将討取りと面傷。岩屋・家久豊後・根白坂、文禄二年渡海、釜山海辺の敵船撃退。泗川では紺糸の鎧。
生没・法名等
慶長十二年十月二十八日病死、七十余歳。法名興善院殿龍岳盛真居士、盛に成の異記。国分野口村の畠に塔、没地不記載。寛永十一年の末尾選定記事は事情未詳。
- 統合人物ID
- HP-0033
- 原人物ID群
- 01-002-04
- 氏・分類
- 伊集院
- 掲載巻頁
- 巻1:2
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 久道の子、下野守、入道抱節。見出し脇の官途小字の父への帰属は確定しない。
- 検索キーワード
- 伊集院久治/下野守/抱節/久道子/羽月飛田瀬/歳久/根占牛根異記/福島地頭/御使役/合志/大津源左衛門/面傷/岩屋/家久豊後出陣/根白坂/文禄元年家老/文禄二年朝鮮/釜山海辺/義弘援軍物主/福島正則/泗川紺糸鎧組頭/慶長十二年十月二十八日/七十余歳/興善院殿龍岳盛真居士/国分野口村畠塔/寛永十一年/忠義老臣五人
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 旧通常AI各全2頁・原冊2頁・末尾拡大・修復候補各全2頁確認済。
- 公開判定根拠
- 本人の軍役・役職・病死を整理し、地頭所異記・法名異注・没後年次の選定記事の疑義を明示して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 第1頁は冊子2頁上段末の久治見出し・系譜・軍歴、第2頁は下段の軍歴から病死・法名・塔・忠義の老臣選定記事まで。第2頁左端下の隣記事の朱注文字片を除去し、最終列の人ヲ撰ビ給フ久治モ其列ニアリを保持。第1頁の内容ストリームと表示範囲は旧通常PDFと一致。通常AI各2頁、新規採番不要。
- 判読保留
- 根占地頭には牛根の異記がある。見出し脇の三郎兵衛尉・右衛門尉を父の官途と決め付けない。/法名の盛には成の朱異注がある。国分野口村の塔所在地は没地の根拠としない。/慶長十二年の病死記事と、寛永十一年十二月晦日の老臣選定記事が併記される。後者を生前の活動としない。追顕か、年次異記か等の事情は本条だけでは確定しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』