米良頼貞・菱刈重信連署書状
寛永十七年七月十一日 / 冊子 425頁/原整理番号 532
米良頼貞・菱刈重信は三原重庸らへ、相良清兵衛を江戸へ召し登せるとの上意を相良壱岐守から受け、清兵衛が前月二十日に当地を出立したと報告する。その留守中、大童半兵衛らが同心して逆心を起こしたため討ち果たし、残るところなく鎮定したので安心するよう伝える。去る八日の当地の状況は伊地知弥右衛門尉を介して注進したと追記し、使者への口上に詳細を委ねる。
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寛永十七年七月十一日 / 冊子 425頁/原整理番号 532
米良頼貞・菱刈重信は三原重庸らへ、相良清兵衛を江戸へ召し登せるとの上意を相良壱岐守から受け、清兵衛が前月二十日に当地を出立したと報告する。その留守中、大童半兵衛らが同心して逆心を起こしたため討ち果たし、残るところなく鎮定したので安心するよう伝える。去る八日の当地の状況は伊地知弥右衛門尉を介して注進したと追記し、使者への口上に詳細を委ねる。
年月日未詳 / 冊子 505頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1122
寛文五年六月九日、島津綱久が上使稲葉正則から帰州の暇を賜り、恩賜の品物と御馬を拝領した。同月二十五日に江戸を発ち、家老島津中務久茂が随従して八月十日に鹿府へ入る。即日、相良式部左衛門頼貞を東都へ遣わして帰国の厚恩に謝し、例の幣物を献上する。
文書日付表示:治暦五年正月廿九日 / 冊子 391頁/原整理番号 六三七/整理ID TMP-P03-NENE6-D0637
頼経・頼利・権大掾頼貞・女子・弟頼重・弟女に各所領の田畠を宛給する。 各項は「在坪付抄帳」として詳細を別帳に委ね、先祖所領の相伝に任せた配分と国判を蒙るべき旨を記す。
弘仁3年4月、建久4年、建久9年、建長3年3月10日、応永年間 / 冊子 186~188頁/原整理番号 64
『藤原姓相良氏』と題し、入来家士・種田小仲蔵に伝わった相良氏系図。藤原南家の武智麻呂から乙麻呂・是公・雄友へ続く祖系と、弟阿・高扶・兼輔の系、維義・為憲以下の工藤氏系統を示す。為憲を工藤と号した遠江権介とし、時理・維景・時信ら駿河守の系を経て、維職を伊豆国押領使で工藤・伊東・林・狩野等の先祖とする。維清から入江原・船越・岡部・野辺・蒲生等、維遠から白尾等の諸流を分け、維頼―周頼を相良荘に結び付ける。光頼・頼広・頼繁・頼景を経て、長頼は相良三郎を称し、建久九年に球磨郡人吉へ住み始め、建長三年三月十日に没したと記す。頼親・頼平・宗頼・頼総以下から山北・山井・内田・高橋・多良木・佐牟田・上村・稲留・岩崎・窪田・黒肥地・肱岡などの諸家を分岐させ、頼氏・長氏・頼実・定頼以下について複数の異系譜を併記し、『是違重而可糺』と再考を促す注記を付す。後半は蘭牟田・薩摩瀬・村山・荒瀬・鶴田・竹下・西橋・蓑毛・深水・今村・丸目・丸野・青井・小垣などの庶流を掲げ、氏久公代の実長、応永年間・元久公代の祐頼、実続・長定・為続・治頼・長毎・長聖・長唯へ至る官途・実名・家系を記す。