豊臣秀吉朱印状
4月朔日 / 冊子 681頁
北郷時久(一雲斎)から見舞いとして味噌百桶が届いたことを豊臣秀吉が喜び、謝意を伝えた朱印状。 詳しい返答は石田正澄(石田杢頭)が申し伝えるとしており、名護屋在陣中の秀吉への贈答と取次関係が分かる。
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4月朔日 / 冊子 681頁
北郷時久(一雲斎)から見舞いとして味噌百桶が届いたことを豊臣秀吉が喜び、謝意を伝えた朱印状。 詳しい返答は石田正澄(石田杢頭)が申し伝えるとしており、名護屋在陣中の秀吉への贈答と取次関係が分かる。
年月日未詳 / 冊子 305頁
豊臣秀吉の大軍下向によって九州諸勢が豊臣方へ属し、島津義久が日向から都於郡へ退いた後、重臣らが今後の方針を協議した記事。北郷一雲斎・伊集院下野入道・鎌田出雲守・本田下野入道・喜入氏父子らが談合し、北郷一雲斎は義久を庄内へ迎えて最後の一戦を行い、島津家の運を開くべきだと強く主張した。降伏か抗戦継続かをめぐる家中の緊張が分かる。
年月日未詳 / 冊子 680~681頁
北郷時久(一雲斎)が名護屋在陣中の豊臣秀吉へ見舞いとして味噌百桶を献上し、その礼として朱印状を受けた経緯を記す。 直後のNo.1091に掲げる秀吉朱印状の由来を説明する家譜記事。
四月朔日 / 冊子 25頁
豊臣秀吉が、見舞いとして味噌百桶が到来したことを喜び、詳しいことは石田本頭から伝えるとした朱印状。
八月十六日 / 冊子 735頁
過去の下向時や帰洛時に泉郡まで送られた厚意を謝し、色紙二枚と屏風一双を贈る。京都の不慮の事件後、近衛信輔が坊津に滞留して鹿児島へ移る見込みであるため、その間の馳走を頼んだ近衛前久(龍山)書状。
天正二年九月十日 / 冊子 344頁
島津氏老臣四名が北郷時久に対し、伊東氏との戦で一味して協力し、談合内容を秘密にし、庄内・肝付をめぐる讒言があれば双方へ腹蔵なく説明すると誓う連署起請文。