僧重慶田地相博状
貞応二年三月日 / 冊子 134頁
僧重慶と覚栄が田地を交換した相博状。対象田が故妙月房覚仁の相伝所領で、処分状に基づくことを示し、後日の証文として双方が券契を取り交わす。
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貞応二年三月日 / 冊子 134頁
僧重慶と覚栄が田地を交換した相博状。対象田が故妙月房覚仁の相伝所領で、処分状に基づくことを示し、後日の証文として双方が券契を取り交わす。
文久3年2月2日(宣・制書施行);奏請記の月日空欄・辰時 / 冊子 280~281頁/原整理番号 390の6/整理ID 390-4
原冊「の6」の授位関係記録。第一の内容は故従四位上源朝臣斉彬に従三位を贈るべしとし、武威・忠精・遺教等を称えて主者に施行を命じる制書で、文久三年二月二日の中務卿熾仁親王の宣と、中務大輔・少輔および権大納言・権中納言等の官位・姓名を列記する。第二は「制書如右、請奉制、附外施行、謹言」「制可」の奏請・承認記録で、文久三年二月二日と、中原師身・左中辨経之、関白・太政大臣等の官職、式部大輔在光・左大辨胤保、斉彬への告贈を載せる。奏請時刻の欄は「月日辰時」で月日数を記さない。第三は「制書如右、符到奉行」の施行記録で、式部少輔兼備前守義修、大録重慶・少録友也らと文久三年二月二日を記す。授位対象の斉彬と列記された関係官人を分け、三つの内容区分を原発給三通と断定しない。
天正15年(1587)ほか / 冊子 420~421頁/原整理番号 8
秩父氏二十四代又太郎重豊の四男・淡路守入道心岳を祖とし、出羽守・淡路守重宗以下へ分かれる伊地知氏庶流の系図。重政は門川地頭として島津義久に仕え、天正十五年に豊後で戦死し、重張は朝鮮で戦死したと記すほか、種子島氏からの養子が義久・義弘・家久の三代に仕えたこと、各支流の官途・婚姻・養子・戦死を載せる。後半は手串良・牛根・栗野・曽木・飯野・倉岡・国分などへの移住、根城攻めでの戦功と前田給付、前田家との由緒から前田または伊地知を称した重悦・重通の系統、重氏・重行・元重・重慶・季定らの系線を示す。
年月日未詳 / 冊子 398~400頁/原整理番号 128
天正四年卯月十四日の会で、夏の月と郭公を詠んだ歌を集める。義久・前久をはじめ、家中や僧・近衛側の参加者十八名の歌を、作者の名とともに掲げる。月明かり、都と山路、夜半・明け方、郭公の声が共通の題材で、忠元の歌も含む。作者名・題などには異本の注記が付される。
年月日未詳 / 冊子 400~401頁/原整理番号 129
山霞・柳露・花見などの景物から、待恋・契恋・恨恋・別恋、眺望・祝言まで、二十の題を配して詠んだ和歌を作者名とともに掲げる。忠元は鹿と氷の歌を詠み、義久・忠長・季久らも加わる。題や作者名には異本による修正注があり、天正四年卯月十四日の当座と記す。末尾に本詩を130番によって校訂した旨の注がある。