旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0147勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中
新納忠元勲功記
年月日未詳 / 冊子 410~411頁/原整理番号 147
天正七年春、天草紹白が来迎寺の使僧を介して忠元と交渉し、出水の義虎と和睦した経緯を記す。忠元は大友に従うことの不利を説き、将軍義昭の大友退治の沙汰を受けて肥後で活動した。鎌田寛栖とともに志岐・上津浦・栖本・大矢野ら五人の城主を出水へ招き、島津への奉公・降伏に導いた。肥後の領地拡大を忠元と寛栖の勲功とする。
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年月日未詳 / 冊子 410~411頁/原整理番号 147
天正七年春、天草紹白が来迎寺の使僧を介して忠元と交渉し、出水の義虎と和睦した経緯を記す。忠元は大友に従うことの不利を説き、将軍義昭の大友退治の沙汰を受けて肥後で活動した。鎌田寛栖とともに志岐・上津浦・栖本・大矢野ら五人の城主を出水へ招き、島津への奉公・降伏に導いた。肥後の領地拡大を忠元と寛栖の勲功とする。
天正16年(1588)・文禄元年(1592)・寛永9年(1632) / 冊子 389~390頁/原整理番号 3
藤原姓菊池氏の末流とする志岐氏の略譜。警固太郎経隆の嫡男経政を山鹿太夫兵藤四郎の嫡流とし、肥前国志岐六箇浦を領した重弘、志岐城主でのち入道麟泉と号した鎮経、親重へ系線をつなぐ。親重は天正十六年、加藤清正・小西行長に志岐城を攻められて降伏し、豊臣秀吉の命によって清正の従軍として肥後へ移り、文禄元年には清正に従って朝鮮・高麗へ渡海し、清正から四百二十石を与えられた。親重の子親益・親昌は島津義虎の娘を母とし、寛永九年に清正嫡男の肥後守が没落すると、親昌は肥後を去って薩摩へ来住し家臣となった。