讃良貞資譜
年月日未詳 / 冊子 689頁
讃良善助貞資の自譜により、寛永十四年の島原一揆に際し、六十六歳の貞資が御使者竹内備前守に同行し、多数の足軽を添えて派遣されたことを記す。老練な人物として事情聴取のため遣わされたとみられる。
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年月日未詳 / 冊子 689頁
讃良善助貞資の自譜により、寛永十四年の島原一揆に際し、六十六歳の貞資が御使者竹内備前守に同行し、多数の足軽を添えて派遣されたことを記す。老練な人物として事情聴取のため遣わされたとみられる。
年月日未詳 / 冊子 152頁/原整理番号 36
川越太郎重頼の三男重員を起点とし、重輔・重貞以下へ続く讃良氏の系図。重貞は修理亮を称し、河内国讃良郡を領したため讃良を号したと由緒を記す。貞與・重矩・重治、重純・重賢・重年、重寛・重朝・重高などの分流を示し、大膳亮・刑部太輔・土佐守・兵衛などの官途を添える。後半は重喬以下、貞盈・貞喬・貞能・貞敦・貞秀らを掲げ、貞秀について享禄年間の出生、母が和泉讃岐守女であること、島津貴久から宝刀を賜ったことを記す。末尾に貞行・貞資・貞勝・貞増、貞清・貞雄ら近世の子孫と善助・銀八・外記・七兵衛等の通称を載せる。
年月日未詳 / 冊子 497~498頁/原整理番号 22-1
桓武天皇―葛原親王―高見王―高望王から良望・良将・良孫・良文へ分かれ、村岡忠道、三浦為道、鎌倉景名、梶原権大夫景道・鎌倉権守景時を経て、梶原太郎景久・刑部丞朝景へつなぐ系図。朝景を酒匂形部丞、子景貞を左衛門尉・酒匂とし、資長・忠影・盛景・資房・宗景・資泰・貞資・資盛・資行・資景・景秀・氏景らの諸流と通称・官途・入道名を図示する。坊津一乗院所蔵本で、同院先住の頼政法印を酒匂家の庶子と伝えるため旧記に基づくとする一方、符号の多さや、年数の隔たりが大きい親子・兄弟関係、仮名と実名の配列に疑問があると批判し、新左衛門尉が旧記を考証して補系した旨を注記する。
延文二年九月四日 / 冊子 262~263頁/原整理番号 30
酒匂貞資入道貞阿が、島津に関わる文書の注文を弥阿弥陀仏のもとへ送ったことを記す証状。その文書が御沙汰に入ったので貞阿の申し述べるとおりに扱い、元のように進め置くべき旨を、後日のために記して判を据える。