肥後山城系図
年月日未詳 / 冊子 310頁/原整理番号 9
肥後山城の家系図。平次郎が町田久則の養子となった後、本家に嗣子がなく戻ったことを記し、長左衛門・平右衛門らとの親族関係を示す。
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年月日未詳 / 冊子 310頁/原整理番号 9
肥後山城の家系図。平次郎が町田久則の養子となった後、本家に嗣子がなく戻ったことを記し、長左衛門・平右衛門らとの親族関係を示す。
本文年月日不記;外包:文久元年酉9月5日 / 冊子 237頁/原整理番号 330の2/整理ID 330-2
藤堂和泉守・松平兵部大輔・松平右近将監・榊原式部大輔の四家を掲げ、濃州・勢州・尾州・東海道筋の川々の普請御用を仰せ付けたので承知するよう知らせる別紙。取計方は勘定奉行松平出雲守と吟味役立田禄助から伝えるので承合するよう命じる。右一通也の表示。本文年月日不記。外包は文久元年酉九月五日、左衛門から格護しておく旨を平田九十郎へ知らせ、白木御文書十番箱へ納めた記録。
本文「今二日」、正文月日なし・末に「正月二日ナラン」注 / 冊子 452~453頁/原整理番号 620/整理ID 620
今二日、平運丸が大坂から出帆し、神邊沖から和田岬を通る際、幕艦二艘が前後に回り、回陽丸から砲撃を受けたと報告する。初弾は外れ、再度の砲撃で士官室が貫かれたが、平運丸は発砲せず退き、追ってきた回陽丸も日没に発砲を止めたという。当港に入碇後、英国のダウダと通弁人ラヘットレへ状況を伝え、開港地内の発砲は不条理で、再び発砲するなら兵を退去させる等の処置をするとの回答を受けたと記す。港内には幕艦五艘程と翔鳳丸がいて、翌日の暴発や兵乱を憂え、白山・ダウダの申出と地議事院での公論、臨機の処置への尽力を求める。正文に月日はなく、正月二日かとの注がある。新納刑部が島津伊勢・岩下佐次右衛門へ送る。
明治2年九月(日不記)知政所 / 冊子 696~697頁/原整理番号 913の1/整理ID 913-1
通達留。馬術の比志嶋静馬・町田平・高橋甚五兵衛、射術の高田十郎右衛門・東郷長左衛門・伊集院半五右衛門・平田平六・木上源五郎、鎗術の梅田九左衛門・白尾登五右衛門、長刀の田代宗次郎を列記する。これらは師家として置いていたが、諸術の実用の利が少ないという達の評価から、各人の師家を免じる旨を本人と関係先へ伝える。但し望む人にその術を指南することは差し支えないとする。明治二巳九月、知政所。師家の役と私的な指南の但書を区分し、武術自体の全面禁止や各人の能力への現代評価、指南実績は補わない。