菱刈源藤治の加冠に際し藤馬介の名を定める
安永六年酉十月朔日 / 冊子 535頁/原整理番号 1487/整理ID 1487
加冠に際して藤馬介とすべき旨を記す。安永六年酉十月朔日。菱刈源藤治の名が記され、花押には島津重豪の注がある。
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安永六年酉十月朔日 / 冊子 535頁/原整理番号 1487/整理ID 1487
加冠に際して藤馬介とすべき旨を記す。安永六年酉十月朔日。菱刈源藤治の名が記され、花押には島津重豪の注がある。
年月日未詳 / 冊子 582~583頁
関ヶ原合戦で味方が敗れ退却しようとした際、大軍が襲来したため、川上忠兄の家臣柏田源藤が先頭の将へ鉄砲を放ち、弾を受けた大将が落馬したと記す。敵軍がその将を救う間隙に一同が危地を脱し、後に撃たれた将が井伊直政であったと聞いたとする。刊本は「柏田源藤」と表記し、『本藩人物誌』巻五では「柏木源藤」と記す。
年月日未詳 / 冊子 646頁
井伊直政(原文は「伊井掃部殿」)を、川上四郎兵衛の配下で源藤という者が鉄砲で撃ったと伝えるが、申述者自身は確実には知らないとする短い証言。源藤の姓は記されていない。
目録年月日記載なし / 冊子 422頁/原整理番号 23
『伊東系図祐安伝』から、応永十九年九月二十五日に島津元久の軍兵が曾井・源藤に陣を取り、大勢を討ち取ったとする合戦記事を引く。本文は次頁上段右側の結語まで続く。
目録年月日記載なし / 冊子 422~423頁/原整理番号 24
『日向記』から、応永十九年九月二十五日に島津勢が曾井・源藤へ陣取った際、伊東祐立が一族と土持氏を率いて曾井城に籠もり、島津勢の陣を崩して源藤川まで追ったとする記事を引く。
目録年月日記載なし / 冊子 423頁/原整理番号 25
『山田聖栄自記』は、曾井・源藤の合戦で島津方が損害を受け、御曹子二人を末吉へ移したことや、伊東勢が穆佐西城へ攻め込んだことを記す。季安は伊東系図・日向記との記述差を比べ、忠國・用久の年齢と聖栄が記録した時期を検討する。さらに島津家の内紛と伊東氏の勢力拡大を年次に沿って整理し、自記が複数代の出来事を省略・圧縮した可能性を論じる。
目録年月日記載なし / 冊子 442~443頁/原整理番号 77
会井殿が島津方へ同意したとの風聞を受け、祐堯が十一月二十五日に出陣して会井を攻め、十二月三日に攻略したと記す。下大田・同恒久・大塚・田吉・本郷・隈野・鏡・源藤などの知行と地頭の伝承を続ける。