慶長日記
年月日未詳 / 冊子 213頁/原整理番号 136
切支丹禁制の徹底により、小笠原権之丞・榊原加兵衛らの赦免を認めず、宗門を離れなければ召し出すとした慶長日記の記事。
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年月日未詳 / 冊子 213頁/原整理番号 136
切支丹禁制の徹底により、小笠原権之丞・榊原加兵衛らの赦免を認めず、宗門を離れなければ召し出すとした慶長日記の記事。
文化12年4月11日(年は目録) / 冊子 456~457頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1417
重豪公御譜中・扣正文在家老座。近衛様高輪御屋敷からの招請時の御能組を掲げ、翁(千歳・三番叟・面箱の表示)、高砂・経政・熊野・綾鼓・亂、三本柱・宗倫を列記する。表には大膳大夫様・高砂、啓之助様・経政、御隠居様・熊野、大御隠居様・綾鼓、肥前守様・亂の見出しと、七郎右衛門・権左衛門、新之丞、萬作、才次郎、八右衛門、権之丞らの名及び伴演者を配列する。続く甘露寺様高輪御屋敷招請時の別能組は、肥前守様・右近、御隠居様・八島、大御隠居様・井筒、大膳大夫様・山姥、啓之助様・祝言岩船、鼻取相撲・居杭、八島之間那須を掲げ、新之丞(源次郎注)・宗也、萬作・次八郎・四郎、金之助・甚太郎・傳之助、仁右衛門、八右衛門、権之丞等を配列する。末尾は別紙番組の通り命じられたので届ける旨、4月11日、御能方肝煎中西十郎左衛門署。二系列の演目・御方呼称・配役表を区別し、近衛等を全演目の演者とせず、御隠居と大御隠居を同一呼称へ統一しない。役名のない伴演欄から囃子方等を補わない。
4月14日 / 冊子 213頁/原整理番号 137
切支丹として改易された原主水・小笠原権之丞らが名字・姿を変えて潜伏しないよう、領内での取締りを求める連署書状。
寛永十七年五月二十四日(聞き取り日) / 冊子 78~83頁/原整理番号 31
大和守久章の内衆から、京都三条宿での行動と五月十七日の失踪について聞き取った記録。好田半兵衛・池田仁左衛門・道具持・夫丸・財部権之丞らが、清水や茶屋への遊山、同伴者、銀子、挟箱、失踪当日の買物や目撃を個別に述べる。聞手は伊地知重政・相良頼員らで、証言は必ずしも一致しない。
文政5年12月15日(末尾年は朱注) / 冊子 642~643頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1897
十二月十五日、吹上御庭拝見が滞りなく済んだ内祝として、亀之甲舞台で能を催し、有馬玄蕃・水野甲斐(忠実注)・有馬臺作を招いた記録。能組には岩船・俊成忠度・綾鼓・船弁慶・海士・乱を挙げ、虎之助・又三郎・玄蕃頭・桃次郎・甲斐守・豊後守などの名を各曲の下に配列し、狂言・間として末廣・宗八・福の神および船弁慶間の幸之助を記す。「乱」の欄には溪山の名がある。囃子方や地謡等に当たる名列もあり、曲ごとに出演者の名列を添える。夕暮れまで無事に済み、赤羽からの供頭へ初めて見せ、装束所に二、三人が来たため甲斐の仕なども一緒に見せたと結ぶ。名列の役割の細分と、卯太郎・覺次郎と読める二名の第一字は未確定。この記録の十二月十五日と、次の贈答覚書の十月十五日とは月が異なる。