附録1-No.47文書確認度 高
本田親歳書状
年月日未詳 / 冊子 15~16頁
本田親歳が、若い者の心得のため検断に関する古い証跡を送った書状。以前の証跡は東福寺脇の役所で失われ、家に残る証跡を持たせたと述べる。親類に写させて原本を返すこと、祖父・父の筆録には落字や仮名遣いの不備があり得ること、享禄元年以来の書付を閲覧に供することを伝える。
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年月日未詳 / 冊子 15~16頁
本田親歳が、若い者の心得のため検断に関する古い証跡を送った書状。以前の証跡は東福寺脇の役所で失われ、家に残る証跡を持たせたと述べる。親類に写させて原本を返すこと、祖父・父の筆録には落字や仮名遣いの不備があり得ること、享禄元年以来の書付を閲覧に供することを伝える。
文安3年、天文23年、弘治3年4月19日、永禄2年6月16日、永禄9年10月26日、天正6年11月12日、文禄元年7月18日、慶長5年9月15日、慶長13年9月29日 / 冊子 13~17頁/原整理番号 4
本田氏十代家督・重恒(又二郎、信濃守、法名義翁)を祖とする系図。兄元親から家督を譲られ、島津忠国に仕えて家老となったが、国親の讒訴で家督を奪われ、文安三年の上洛中に清水城を攻略され、のち曽於郡で国親に殺された経緯を記す。後裔について、隅州菱刈院・穂北・伊集院・湯之尾等の地頭職、親貞の養子相続と関ヶ原後の新納旅庵との周旋、高城・蒲生・滝ヶ水・牛根・三之山・関ヶ原での戦死、朝鮮出兵・川辺地頭、婚姻・養子による諸家への分岐を収める。