川上昌久譜
年月日未詳 / 冊子 731頁
勝久の不明な賞罰と讒臣登用を諫めた川上昌久ら忠義の士十六人の行動、讒言を拒んだこと、政道を正そうとして危難に遭った経緯を記す。
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年月日未詳 / 冊子 731頁
勝久の不明な賞罰と讒臣登用を諫めた川上昌久ら忠義の士十六人の行動、讒言を拒んだこと、政道を正そうとして危難に遭った経緯を記す。
年月日未詳 / 冊子 665頁
大田氏二代昌久の官途・号と、島津忠昌への川辺の居城献上、南郷・田布施への移住、大永六年十一月に島津忠兼から帖佐地頭職を与えられた経歴を記す記事。
年月日未詳 / 冊子 730~731頁
天文四年四月三日、川上大和守昌久が死去し、高木左近・竹迫助左衛門・鍋倉筑後・宮野原助右衛門・肝付兼利ら五人が殉死したことを記す。
年月日未詳 / 冊子 731頁
天文四年四月、勝久が鹿児島へ還った後、川上昌久ら家臣と実久方の抗争・連判を背景に市村への放火が七日間続き、勝久が防禦を失った経緯を記す。
年月日未詳 / 冊子 731頁
川上久隅の通称・官途・入道名を掲げ、父昌久の死後に川上城で勝久方の軍勢へ攻撃を加え、負傷しながら敵を退けた経歴を記す。
年月日未詳 / 冊子 731~732頁
天文四年、川上昌久が誅された際に受久も危難に遭い、隅州正宮辺へ逃れて身を隠した後、赦免・召還を受けて再び奉公した経緯を記す。
年月日未詳 / 冊子 560~562頁
島津忠国の娘を母とする延久を大田氏元祖とし、川辺郡山田に居住したこと、昌久が川辺城を薩摩守重久へ献じて南郷・田布施へ移ったことなどを記した大田氏系図抄。
年月日未詳 / 冊子 679~690頁
樺山資春流の系図。資春が島津忠昌の肝付攻めで砥坂陣の大将を命じられ、島津忠国から資の字を賜ったこと、昌久・久任以下の諸流、谷山伊佐知佐松原での戦死、婚姻・寺院住持・生没年を多数記す。
年月日未詳 / 冊子 726頁
島津勝久の不正な賞罰と讒臣の登用が国を乱したことを、古今の君臣・治乱の故事を引いて論じる島津日新譜記事。川上昌久・竹内氏・小倉氏・山氏・末弘伯耆守らをめぐる家中事情に触れ、忠臣を用い小人を退け、聴言と賞罰を正すべきだと説く政治論。
年月日未詳 / 冊子 729~730頁
天文年間の忠良・貴久方と実久方・伊東氏らの抗争をまとめた国史記事。鹿児島、川上城、谷山、松山、梅北など各地の戦闘、城郭の攻守、家臣の離反・戦死を諸記録に基づき集成する。北郷忠相、川上昌久、北原・肝付・新納諸氏の帰属と戦線の変化を追える。
明和2年9月晦日 / 冊子 120~122頁/原整理番号 23-2
明和二年九月晦日付の別紙として伝わる禰占氏法名書上。白峰了雲居士、宝山大珎大姉、道岳昌久居士、快翁一慶居士、雲庵洞麟大姉、白林秋雲大姉、宝隣善室大姉、隆光意温居士、月窓妙寿大姉などの法名と没年月日を、禰占四郎兵衛・仙次郎・四郎次・休八らとの父母・子・妻・妹等の続柄に対応させる。後半は秋月妙光大姉、花栄祥心大姉、心伝妙理居士、寂山了道居士、春夢如幻居士、法雲妙光大姉、本性清心大姉、白室意照大姉、観室安心大姉、道雲本性大姉を掲げ、天明三年から嘉永四年までの忌日と、新四郎・新五右衛門・勘七・助右衛門・新九郎らとの関係を整理する。
巻一/冊子 4頁
帖佐城主渋川氏が島津家累代の臣でありながら実久方に通じ、本城・新城を拠点に反抗した事件を扱う。忠良は大永六年十二月に鹿児島を発し、吉田で軍備を整えて両城を攻撃した。実久方の援軍は高尾方面で繰り返し防戦したが敗れ、新城も陥落する。退却者の多くが城濠や柵、火災によって死傷したと戦場の惨状を記し、反逆が自滅を招いたものと評する。戦後、帖佐は昌久に、伊集院は忠良に与えられ、地域支配が再編された。