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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

4 件 (全巻)/ 1–4件を表示

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後編1-No.244記録確認度 高

年代記

永禄六年二月十日、守護方の軍勢が三山へ進み、敵陣を破って勝利し、多数の敵を討ち取ったことを記す年代記事。新藤殿が下向したことも付記する。

登場人物
島津貴久、新藤殿、伊東氏
宛先
—
キーワード
年代記、永禄六年、三山合戦、守護方、勝利、討取、新藤殿、下向
追録7-No.無番号_0075報告書旧記雑録暫定版確認度 高

桑山仲太夫首尾書(939の5・正徳後の御目見交替先例照会)

留守に置く家来が退役し、代わりの者の御目見を願う件は正徳の先例があると承知したが、その後も同じ例があるか調べるよう求める手控書1通を掲げる。照会は松平薩摩守名で、御用番松平伊豆守の用人新藤善八郎へ向けられる。続く桑山仲太夫の首尾書は、右の達しにより今日中に1人出頭するよう用人の切紙が届き、自分が出たところ、翌朝までに回答を申し出るよう重ねて命じられたと記す。何とか返答をもらいたいので、この手控書を櫻田詰中の小姓を通じて差し上げたと報告する。3月19日、桑山仲太夫、安房宛。照会内容と用人への出頭・回答期限・手控書送付の経過を分け、御目見許可の通知とはしない。

登場人物
松平薩摩守、桑山仲太夫、御用番松平伊豆守、用人新藤善八郎、安房、櫻田詰中小姓
宛先
安房様(首尾書)。照会先:松平伊豆守様御用人新藤善八郎
キーワード
939の5、手控書一通、正徳後の交替先例、新藤善八郎、松平伊豆守用人、今日一人出頭、翌朝回答期限、櫻田小姓送付、桑山首尾
島津世禄記-A33記事関連史料(外伝)確認度 高

義弘主父子軍功之事付久保逝去之後忠恒継家統護朝鮮事并人数帳之事

朝鮮在陣中の義弘・久保父子の軍功、久保の死と忠恒の家督継承、豊臣軍の人数・配置を記す。まず秀吉の軍法を掲げ、放火・人取り・百姓への非分な課役を禁じ、兵粮管理、飢民救済、城郭普請など占領地統治の規則を示す。久保は忠清道で敵を単騎追撃して首級を得たとされる一方、秀吉の朱印状には木曾城・釜山浦・金海・加徳島などを攻守する各大名の人数と配置が詳細に列記される。久保は金海で虎狩りを行った逸話の後、文禄二年九月に巨済で病没し、二十八歳で世を去った。翌年、弟の忠恒(のち家久)が家統を継ぎ、義弘とともに巨済・加徳島へ在陣する。秀吉の求めに応じた虎狩りでは、義弘・忠恒の家臣が危険を冒して虎を仕留め、その肉を献上して褒賞を受ける。さらに文禄四年および慶長二年の軍勢帳・陣立書を大量に収め、小西・加藤・鍋島・島津・黒田・毛利・宇喜多・小早川・船手衆などの人数、釜山浦から各城までの在番、先陣の順序、軍議・注進・築城・野陣の規則を示す。末尾は南原攻略へ向かう陣立に続く。個々の武功や家督継承だけでなく、朝鮮役における全国大名軍の編成・兵数・占領統治を具体的に伝える軍事記録である。

登場人物
島津義弘、島津久保、島津忠恒(家久)、豊臣秀吉、石田三成、小西行長、加藤清正、鍋島直茂、黒田長政、毛利氏、宇喜多秀家、小早川隆景、大山新藤、島津彰久
宛先
—
キーワード
朝鮮在陣、軍法、軍勢帳、久保死去、忠恒継承、虎狩り、陣立
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-P01-39f4516f-D0203口宣案旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:蔵人頭広橋兼宣奉口宣案

橘清平を山城権守に任じる旨を伝える口宣案。 蔵人頭右大弁兼遠江権守藤原兼宣が奉じ、上卿の記載を伴う。

登場人物
橘清平、藤原兼宣、広橋(刊本注・比定未確認)
宛先
—
キーワード
宜任山城權守