後編3-No.1684記事確認度 高
伊地知季安愚考
年月日未詳 / 冊子 836-837頁
伊地知季安愚考は、伊集院忠真が加藤清正の威を頼んで再び謀反を企てたことが露見し、川田国鏡の内命を受けた押川則義と渕脇平馬が、慶長七年八月十七日に野尻大津の狩倉で待ち伏せたと記す。案内者の誤りで則義は平田新四郎を鉄砲で射殺し、続いて平馬が忠真を射殺した。忠真は三十三歳で、墓は野尻にあり、法名を法山道機居士という。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
3 件 (全巻)/ 1–3件を表示
ページ 1 / 1
年月日未詳 / 冊子 836-837頁
伊地知季安愚考は、伊集院忠真が加藤清正の威を頼んで再び謀反を企てたことが露見し、川田国鏡の内命を受けた押川則義と渕脇平馬が、慶長七年八月十七日に野尻大津の狩倉で待ち伏せたと記す。案内者の誤りで則義は平田新四郎を鉄砲で射殺し、続いて平馬が忠真を射殺した。忠真は三十三歳で、墓は野尻にあり、法名を法山道機居士という。
年月日未詳 / 冊子 837頁
伊地知季安愚考は、渕脇平馬が押川則義とともに内命を奉じ、慶長七年八月に野尻大津の狩倉で伊集院忠真を待ち伏せたと記す。平馬が忠真を鉄砲で射殺した一方、忠真が平田新四郎と馬を乗り替えたため案内者が取り違え、則義は平田を射殺した。則義は人違いを恥じて自害したという。
年月日未詳 / 冊子 837-839頁
島津家久譜は、伊集院忠真が再び謀反を企て、加藤清正との通謀などが露見したため、忠恒が上洛の途次、野尻で狩を催して忠真を誘い出し誅殺した経緯を記す。忠真方の者は各地で捕縛・処断され、伊集院一族や関係者の配置・知行、忠真討伐に関わった押川則義らの動向も列挙し、上洛の障害を除いたとする。