後編3-No.349記事確認度 高
殉国名数抄
年月日未詳 / 冊子 175~182頁
「殉国名数抄」として、慶長の役で戦死・病死した島津家の家臣、諸士、従者らを列挙した戦没者名簿。氏名だけでなく、所属地・役職、親子・兄弟・孫などの家系関係、戦没地や年月日、蔚山・泗川・南原などでの戦死、船中・陣中での病死といった事情を小字で付記する。無姓氏の兵や朝鮮陣没者を含む、多数の犠牲者を家ごとに記録した史料である。
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年月日未詳 / 冊子 175~182頁
「殉国名数抄」として、慶長の役で戦死・病死した島津家の家臣、諸士、従者らを列挙した戦没者名簿。氏名だけでなく、所属地・役職、親子・兄弟・孫などの家系関係、戦没地や年月日、蔚山・泗川・南原などでの戦死、船中・陣中での病死といった事情を小字で付記する。無姓氏の兵や朝鮮陣没者を含む、多数の犠牲者を家ごとに記録した史料である。
年月日未詳 / 冊子 147頁
「御系図」として、日本諸将が慶尚道泗川の海辺に城を築いて新塞と号し、島津義弘父子を守将としたため、慶長二年冬に新塞へ移ったことを記す。泗川新城への配置を系図中の記事として伝える短文である。
慶長八年五月吉日 / 冊子 890-892頁
朝鮮から連行された人々が、武力と侵略による国土荒廃、殺戮・略奪、捕虜・離散の惨状を漢文で訴えた上書。仁政と和睦を求め、捕虜を帰還させて両国の怨恨を解き、将来の平和を実現するよう請願する。
年月日未詳 / 冊子 865頁
明の神宗が豊臣秀吉を日本国王に封じるため、国王印・冠服・冊封詔書を用意し、李宗城を正使、楊方亨を副使として日本へ派遣した経緯を記す。沈惟敬も同行した。 使節は日本軍が釜山浦など朝鮮諸城から撤兵するのを待って進む計画だった。文禄・慶長の役における講和交渉と冊封使節の構想を伝える重要記事。