前編2-No.540記事確認度 中
島津恕翁公譜
年月日未詳 / 冊子 158頁
島津元久譜として、相良祐頼と北原氏が徳満城で争い相討ちとなったため両氏が対立し、北原氏の子が元久に援助を求め、元久が軍勢を派遣して相良勢を退け、隕幸一院を北原領とした経緯を記す。
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年月日未詳 / 冊子 158頁
島津元久譜として、相良祐頼と北原氏が徳満城で争い相討ちとなったため両氏が対立し、北原氏の子が元久に援助を求め、元久が軍勢を派遣して相良勢を退け、隕幸一院を北原領とした経緯を記す。
年月日未詳 / 冊子 113~116頁/原整理番号 22-3
兼清治右衛門を起点とする肝付氏庶流系図。兼清は没年月・法名不詳とし、志布志士永山主計の二男兼陳を嗣子がないため養子に迎えたことを記す。兼陳は慶長二年生、万治三年没・六十四歳、法名亭月陳長上坐。兼林・兼高以下についても、寛永・明暦・寛文・天和・宝永・享保・宝暦・明和期の出生・没年、法名、母方を列記する。志布志士川野・久保・愛甲・瀬戸口、皿良・大脇・平田・大迫・吉国・坂元などとの婚姻を示し、別家、肥後源五左衛門・河野佐市兵衛・吉国次郎右衛門への養子、女子の嫁家を系線で整理する。末尾は兼典四郎の明和九年五月二十九日出生記事で終わる。