伊集院幸侃忠棟署判領知目録
文禄五年八月二日 / 冊子 36頁
伊集院幸侃忠棟が、先年の御輿上げの忠恩により、薩州伊集院内大内田村の余分地のうち一作・高五石(原文「五斛」)を中馬十郎左衛門へ宛行った署判領知目録。
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文禄五年八月二日 / 冊子 36頁
伊集院幸侃忠棟が、先年の御輿上げの忠恩により、薩州伊集院内大内田村の余分地のうち一作・高五石(原文「五斛」)を中馬十郎左衛門へ宛行った署判領知目録。
文禄五年八月六日 / 冊子 36~37頁
伊集院右衛門入道幸侃が、市来豊前入道へ、先年の御輿上げを理由として、薩州伊集院内田村の余分地のうち高二石と、これに加えて市来湯田の三石を宛行った署判領知目録。
享保十四年十二月九日 / 冊子 1016頁/整理ID 2483
御召御輿一挺、網代御輿一挺、御長持拾棹、御茶白・挽物・石臼・白木臺・御蕎麦切道具などを列記する。
文禄五年二月八日 / 冊子 7頁
伊集院幸侃が中河又十郎へ、薩州市来湯田村内の三石を与えた宛行状。先年、川内へ出向いた際に御輿を担いだ働きへの恩賞として知行を認めた。
文禄五年二月八日 / 冊子 8頁
伊集院幸侃が春口土佐守へ、薩州市来湯田村内の五石を与えた宛行状。先年、川内へ出向いた際に御輿を担いだ働きへの恩賞として知行を認めた。
文禄五年二月八日 / 冊子 8頁
No.23と同文の宛行状が外中馬十郎左衛門尉・市来豊前入道にも存在したことを記す雑抄記事。先年の川内出向時に御輿を担いだ働きに対する恩賞知行である。
慶安四年十一月廿二日 / 冊子 37頁
河添藤七左衛門・上村覚右衛門が、豊臣秀吉が川内泰平寺を陣宿とした際、龍伯(島津義久)が泰平寺へ出向いたものの供人が不足したため、伊集院にいた両名の父祖が供奉して御輿を担いだと聞き伝えていることを、後日の由緒として申し上げた連署上書。
十一月廿八日 / 冊子 37~38頁
高岡の小田原源右衛門が、豊臣秀吉が川内泰平寺へ下向した際、龍伯(島津義久)の指図により祖父但馬と父源太兵衛が御輿を廻して奉公し、その忠節により高五石を賜った由緒を、名寄を紛失したため古書物に基づいて申し立てた上書。
享保十四年十一月二十四日 / 冊子 966~967頁/整理ID 2429
竹姫入輿当日の御貝桶・御輿の受渡し、御守殿や本宅の儀礼、吸物・酒肴・献上物、役人の座席と供人数を先例に照らして伺う。