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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

6 件 (全巻)/ 1–6件を表示

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追録5-No.2734飾付次第書旧記雑録暫定版確認度 要

芝邸各間飾付次第書

書院には養朴筆の鶴図二幅と立花二瓶、違棚には劉松年筆の人物画一巻、「仙香立」と記す金属の人形、堆朱の盆、松竹龍の蒔絵の硯箱、蒔絵の文台、料紙・卦算を置くと記す。取附之間には秋月筆の寿老人図と立花、秦吉了之間には探幽筆の富士図と金属の花入の生花、鳰之間には唐筆の山水図と焼物の花入の生花を配し、それぞれの臺も挙げる。

登場人物
養朴・劉松年・秋月・探幽(絵画作者)
宛先
記載なし
キーワード
芝邸各間飾付、書院養朴鶴図二幅立花二瓶違棚劉松年人物画仙香立かね人形堆朱盆硯箱蒔絵文臺料紙卦算、取附秋月寿老人秦吉了探幽富士鳰唐筆山水、花入臺
後編1-No.1155文書確認度 中

島津義久宛行状

島津義久が上井覚兼へ、日向国海江田の城と所領八十町は遠境にあるため、薩摩国永吉郷へ繰り替えて宛行った文書。確定版年月日は『天正年人月十一日』だが、本文年紀は天正八年八月十一日と読める。

登場人物
島津義久、上井覚兼
宛先
上井伊勢守覚兼
キーワード
島津義久宛行状、上井覚兼、日向国、海江田城、八十町、薩摩国、永吉郷、替地、年月日欠字
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-1知行坪付・系譜由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原氏老臣連署坪付

天正八年閏三月吉日、伊集院忠棟・村田経定・上井覚兼・平田光宗・本田親貞の老臣五名が上原隼人佑へ、薩摩国加世田の津貫名牧壇之門内にある、あまつこみ・谷の口・山の下・牟田・坪・宮田尻・陰俣・上公田・堀町などの田地を列記して与えた連署坪付。総量は九町二杖とされるが、伊地知季安は現存する坪付の記載だけでは九町にならず、紙端の脱落ではないかと疑い、丁・畦・町の換算を示したうえで博古の人の検討を求める。後続の系譜注記は、尚常(尚近とも作る)の軍功を略記し、天正二十年九月五日に没して高崎縄瀬村小牧に葬られ、法名を久全源昌居士としたこと、清水押職を務めた人物や尚張、新納忠堯室となった女子を掲げる。尚張については天正十二年三月の隆信合戦への従軍、慶長十六年の国分から麑府への移住、家久の用不足による百石につき四分一の田禄収公と残禄四百八十二石を記す。上原尚氏は天正十四年十一月、島津義久の豊後大友氏攻めに従軍し、天正二十年六月には日州志布志伊屋松門の二町七段八畦五歩を与えられ、島津忠長・伊集院忠棟ら老中から目録を受けたとする。坪付本文だけでなく、その受給者一族の軍歴・移住・知行変動と次の知行文書の背景まで連続して記す点が特徴である。

登場人物
上原隼人佑(前項の上原尚信)、伊集院忠棟、村田経定、上井覚兼、平田光宗、本田親貞、河野通古、上原尚常(尚近とも作る)、上原尚張、島津義久、島津家久、新納刑部少輔忠堯、上原尚氏(隼人佑・筑前守・源右衛門尉)、島津図書頭忠長、伊集院忠棟入道幸侃、町田出羽守久倍、平田左近将監蔵宗、本田親貞入道三清
宛先
上原隼人佑殿
キーワード
上原氏老臣連署坪付、正本家蔵、上原隼人佑、天正八年閏三月吉日、薩摩国加世田、津貫名、牧壇之門、あまつこみ、谷の口、山の下、牟田、坪、宮田尻、陰俣、上公田、堀町、九町二杖、坪数不整合、紙端脱落、丁畦町換算、伊地知季安考証、伊集院忠棟、村田経定、上井覚兼、平田光宗、本田親貞、旧記雑録後編一二三四号、河野通古、上原尚常、尚近、軍功略記、高崎縄瀬村小牧、久全源昌居士、清水押職、上原尚張、隆信合戦、国分、麑府、田禄収公、四分一、残禄四百八十二石、新納忠堯室、上原尚氏、豊後大友氏攻め、志布志伊屋松門、二町七段八畦五歩、島津忠長、伊集院幸侃、町田久倍、平田蔵宗、本田三清
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-6判物・知行目録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊集院幸侃判物知行目録

文禄五年十二月二日、伊集院右衛門入道幸侃が上原源右衛門尉へ、薩州大口郡山村二十九石九斗八升一勺一才、横河上乃村十九石九斗四升四合八勺九才、曽於郡重久村五十石七升五合の合計百石を配分した判物知行目録。そのうち四十九石九斗二升五合を加増分と明記し、幸侃の花押を据える。付属記事は同月二十二日、幸侃が上原尚氏と平田狩野介宗應へ書状を送り、重久名の件を協議させたと記す。

登場人物
伊集院右衛門入道幸侃、上原源右衛門尉(上原尚氏)、平田狩野介宗應
宛先
上原源右衛門尉殿
キーワード
伊集院幸侃判物知行目録、正文家蔵、文禄五年十二月二日、伊集院右衛門入道幸侃、上原源右衛門尉、上原尚氏、薩州、大口、郡山村、二十九石九斗八升一勺一才、横河、上乃村、十九石九斗四升四合八勺九才、曽於郡、重久村、五十石七升五合、合計百石、四十九石九斗二升五合、加増、配分、花押、十二月二十二日、平田狩野介宗應、重久名、協議
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-14書状・上原氏知行/軍役/系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

昌州書状

卯月七日、昌州(傍注では連歌師昌叱か)が某人へ、先日その地へ参上して宿所を訪ねたが留守だったと伝え、京都連歌の『御かし』を平田与進のもとへ送る件について、料紙をまだ用意できないため、まず自分の愚作を差し上げるので書写して返してほしいと頼んだ書状。付属記事は、慶長十六年正月に龍伯が没した後、上原尚氏が鹿府に居住し、食禄百五十一石(国分高帳では百五十三石)で府籍に登ったこと、慶長十八年十二月に大坂事への備えとして老齢のため夫三人を出したこと、元和六年二月の百石以上四分一収公に応じ、残る百五石を食んだことを記す。さらに分家の尚演が家久の御納戸役となり、元和七年の犬追物で四疋を射、寛永九年には食禄七十九石を登録したこと、横川・清水郷・伏見・南林寺等に関わる尚演以下の分家・養子・還俗・御用人・近習役などを系図で示す。連歌書状に上原氏の近世初頭の知行縮減、軍役負担、役職、分家系譜を連ねた構成が特徴である。

登場人物
昌州(連歌師昌叱か)、平田与進、上原尚氏、島津義久(龍伯)、島津家久、上原尚昌、上原尚演、三原大蔵大輔重朗、上原尚道、上原尚宣
宛先
—
キーワード
昌州書状、正本家蔵、卯月七日、昌州、連歌師昌叱か、不在訪問、宿所、京都連歌、御かし、御懐紙か、平田与進、料紙未用意、愚作、書写、返却依頼、上原尚氏、島津義久、龍伯、慶長十六年、鹿府、食禄百五十一石、国分高帳百五十三石、慶長十八年、大坂事、夫三人、島津家久、元和六年、四分一収公、残百五石、上原尚昌、上原尚演、御納戸役、元和七年、犬追物、四疋、寛永九年、七十九石、三原大蔵大輔重朗、横川、清水郷、伏見、南林寺、分家系譜
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-5書状・寺家身分訴願・知行由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

長寿院盛淳書状

年未詳六月十一日、長寿院盛淳(署名は長寿)が上原筑前守へ、ある人物は師匠以来奉公し、上様の祈念などを命じられてきたため、平僧並みでも通常の寺家でもなく、知行の配分を含む相応の処遇を受けるべきだと伝え、老衆らとの談合を求めた書状。対象者名や知行内容の一部は原文の空格・欠字により確定できない。付属する上原氏系譜記事は、尚氏が島津義久の春山での狩猟に近侍して功を立て、鉄炮三挺と兼光の御長刀を賜ったが、尚毅の代に江戸邸で両品を盗まれたと記す。文禄五年、豊臣秀吉の命による城邑移転で義久が麑府から富隈へ移ると尚氏も従い、四十九石九斗二升五合を加増されて旧領と合わせ百石となり、十二月二日に伊集院幸侃から目録を受けた。内訳は大口郡山村二十九石九斗八升一勺一才、横河上乃村十九石九斗四升四合八勺九才、曽於郡重久村五十石七升五合である。

登場人物
長寿院盛淳(署名は長寿)、上原筑前守、上原尚氏、島津義久、豊臣秀吉(太閤公)、伊集院幸侃、上原尚毅
宛先
上原筑前守殿参
キーワード
長寿院盛淳書状、長寿、上原筑前守、六月十一日、師匠以来奉公、上様御祈念、平僧並みではない、寺家身分、知行配分、老衆談合、欠字、上原尚氏、島津義久、春山狩猟、近侍奉公、鉄炮三挺、兼光御長刀、上原尚毅、江戸邸、盗難、文禄五年、豊臣秀吉、太閤公、城邑移転、麑府、富隈、四十九石九斗二升五合加増、合計百石、伊集院幸侃、十二月二日、大口郡山村、二十九石九斗八升一勺一才、横河上乃村、十九石九斗四升四合八勺九才、曽於郡重久村、五十石七升五合、旧記雑録附録二一〇一号