某覚書
寛永14年11月17日 / 冊子 356~357頁/原整理番号 330
島原の籠城状況を伝え、城から一里ほど離れた村の米蔵や周辺の軍勢動静を記した覚書である。末尾に寛永十四年十一月十七日の日付を掲げ、翌十八日付の同文書へ連続する。
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寛永14年11月17日 / 冊子 356~357頁/原整理番号 330
島原の籠城状況を伝え、城から一里ほど離れた村の米蔵や周辺の軍勢動静を記した覚書である。末尾に寛永十四年十一月十七日の日付を掲げ、翌十八日付の同文書へ連続する。
寛永14年12月29日 / 冊子 507~508頁/原整理番号 520
相良頼寛が島津家久へ送った書状。松平伊豆守・戸田左門の下向を追而書で伝え、摂津からの出船と有馬への渡海、座への参着を報告する。島原籠城がなお落去せず帰国が延びること、江戸の薩州様へ暇乞いしたことを述べ、十二月二十九日付で返報する。
二月十五日 / 冊子 139~140頁/原整理番号 233-2
種子島十左衛門が九字二十目の御鉄砲の由緒を記した覚書。同族山栖から伝承を聞き、寛陽院様の代に山栖三郎次郎が御持筒として用いたのち御鉄砲蔵へ納めたこと、島原籠城時に御用のため再び使用したこと、その後八匁・十匁の鉄砲二挺を蔵へ納めたことなどを御記録所へ届ける。
年月日未詳 / 冊子 385~392頁/原整理番号 491
寛永十四年冬の島原籠城を受け、三原左衛門を大将として人数を差し遣わし、のち島津豊後守久賀・下野守久元が人数を率いた経過、正月元日の大合戦や島原城攻撃・帰陣を記す。続いて寛永十五年正月十四日に召し立て、三月末に帰宅した130人を名と知行高別に列挙する。末尾には一向宗改めで仏踏みを命じられた者や、屋敷・高の召上げ、追放、切腹・討死等に至った関係者の事例を付記する。
年月日未詳 / 冊子 398頁/原整理番号 509
寛永十五年、渋谷恕右衛門が足軽三人を率いて下り、公儀の囚人とされた皆吉長右衛門を召し捕ろうとした。長右衛門の父が島原籠城後に生け捕られ、吟味で息子が永俊に奉公していると白状したため、長右衛門の妻子五人を召し捕って鹿児島へ送った。当地からも宰領を付け、渋谷方に添えて差し遣わした。
寛永14年10月28日 / 冊子 292~293頁/原整理番号 252
松倉長門守領島原の一揆により籠城中であるため、切支丹一揆百姓を退かせる加勢を重ねて求める連署書状。島原から四、五里の場所に馬を集め、城を堅固に守るよう申し、十月二十八日付で結ぶ。
年月日未詳 / 冊子 293頁/原整理番号 253
『藤掛集書』。松倉長門守留守中の籠城難儀を受け、鍋島・細川両家へ江戸在府の諸侯が加勢を請うた事情を記す。細川勢を肥後川尻へ集め、国主の命を待って加勢を出すことを申し合わせる。