竹内実吉書状
(慶長三年)十月六日 / 冊子 256頁
竹内実吉が(慶長三年)十月六日付で池田六左衛門尉らへ出した書状。敵首三万人を揃え、ほかに切り捨てた者は数知れないと戦果を報じ、治介が七人、島津義弘(武庫)が五人を討ったことを伝える。出陣時の厚意に謝し、源五や伊福小内記・町田仲左衛門らにもこの内容を知らせるよう求める。
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(慶長三年)十月六日 / 冊子 256頁
竹内実吉が(慶長三年)十月六日付で池田六左衛門尉らへ出した書状。敵首三万人を揃え、ほかに切り捨てた者は数知れないと戦果を報じ、治介が七人、島津義弘(武庫)が五人を討ったことを伝える。出陣時の厚意に謝し、源五や伊福小内記・町田仲左衛門らにもこの内容を知らせるよう求める。
十月二日 / 冊子 256頁
竹内実吉が十月二日付で池田六左衛門尉らへ出した書状。本冊では本文がNo.509の文書と同文であるため省略されており、敵首三万人や治介・島津義弘の討取を報じる同書状を参照する。No.509とは日付を異にして掲げられている。
十月六日 / 冊子 257頁
竹内実吉が十月六日付で池田六左衛門尉らへ出した書状。本冊では本文がNo.509の文書と同文であるため省略されており、敵首三万人と治介・島津義弘の討取を報告する同書状を参照する。
正月廿九日 / 冊子 26頁/原整理番号 40-2
喜入忠政・島津久賀が三原重庸・川上久国へ、上津浦の番手を受け取ったことを報告する使者を出し、鬼塚源太左衛門尉から条書への返答を受領したと伝える。条書は、命令なく有馬へ渡る者には自船・自飯米を負担させ、後日処分もあり得るという内容で、当地の諸軍勢へ周知するとする。一方、「かうね」から当地へ人衆を繰り渡す船で平田民部少輔が相談なく有馬へ渡り、船の配分や四、五千人の輸送を乱したことを強く批判する。物頭・奉行を安易に任じれば国のためにならないとして、厳格に命じるよう求め、三原重庸の帰着後に詳しく協議し、加世田小内記にも条書で伝える書状。