御知人之覚
年月日未詳 / 冊子 195~200頁
寛永年間に島津家久が将軍御成・上使・病気見舞い・肥後使節・上洛などの機会に知遇を得た幕府重臣・諸大名・医師・家臣を、出会いの年次や場所とともに列挙した『御知人之覚』。
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年月日未詳 / 冊子 195~200頁
寛永年間に島津家久が将軍御成・上使・病気見舞い・肥後使節・上洛などの機会に知遇を得た幕府重臣・諸大名・医師・家臣を、出会いの年次や場所とともに列挙した『御知人之覚』。
系図全体は無年次(寛永17年・正保4年・延宝6年・元禄7年などの出生記事を記載) / 冊子 602~603頁/原整理番号 105
前田右近・大炊之助・太郎四郎以下をつなぐ前田七郎右衛門家の系図。兼門の条は、寛永年間に自宅から火を出して証書などを焼失したため、右近より前の祖先は分からないと明記する。兼次が宮里壹岐正親義方に召し出された際の養子関係や、兼治が佐藤諸左衛門信實の婿養子となったことを記し、兼浮・兼貞らの出生年月日、官途、居住・婚姻先を続ける。女子の佐藤・河野・谷山吉井・堀之内・松下・鎌田・入佐家との関係や、養子を兄弟とする記述もあり、証拠文書の喪失と継承の事情が系図自体に刻まれている。
(嘉永六年)正月三日 / 冊子 434頁/原整理番号 2
家伝秘考の旧編を探索して気づいた点を上申する。御蔵書を容易に出せず、命じられた書をまだ拝読していないことを謝する。寛永年間に系図をまとめた平田清右衛門、その後の編集者田中五右衛門らの労を述べ、系図・文書・領内の旧記の探索が行き届かない可能性を指摘する。東鑑と玉海を照合して少しでも家伝の異同を明らかにしたいとして、丹後局の内侍奉公などを挙げる。
年月日未詳 / 冊子 658~659頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1660
日向国諸県郡庄内と那珂郡飫肥の境にある梶山・板屋・赤石河内周辺について、古くからの領有・河川・山境、寛永年間以降の境界争論と裁許、関係文書の成立経緯を説明した由緒書。
年月日未詳 / 冊子 190–193頁/整理ID 677
松平薩摩守家が、島津義久・義弘・家久以後の徳川家への奉公と家督相続を幕府へ書き上げた先祖由緒。名護屋在陣、伏見での徳川家康との関係、関ヶ原後の本領安堵、慶長十四年の琉球出兵と琉球国王を伴う駿府・江戸での拝謁、家久・光久・綱貴への相続、慶長・元和・寛永年間の進物・拝領物や病気・死去を年代順に記す。
年月日未詳 / 冊子 355頁/原整理番号 115
『江戸砂子』からの記録。日本橋南にある鹿児島稲荷は久志本氏の屋敷内にあり、寛永年間に松平大隅守の屋敷から勧請され、屋敷の鎮守になったと記す。