附録2-No.229文書確認度 高
竹内実位書状
二月廿四日 / 冊子 103頁
出銀負担を一石につき三分から五分へ変更し翌月二十日までに集めるよう求め、人別日記を受領したこと、豊後からの捕虜を月末に集める際の責任者は一人でよいかを相談した書状。
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二月廿四日 / 冊子 103頁
出銀負担を一石につき三分から五分へ変更し翌月二十日までに集めるよう求め、人別日記を受領したこと、豊後からの捕虜を月末に集める際の責任者は一人でよいかを相談した書状。
文化10年冬10月5日(記事。明年11月25日・越明年10月18日の再建を追記) / 冊子 421頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1306
重豪公御譜中、斉興公御譜にも載る。六代主定山公師久・十四代主大翁公勝久の墳墓が廃れて詳らかでなく久しく憂えていたため、本年冬10月5日川内隈之城郷称名寺を定山公の墓地とする。氏は家をいうとの注。明年11月25日に宗久公廟中(向田仮館の側、称名寺領地の注)へ定山公石塔を再建し、斉興は若年寄島津相馬久謨を仮に家老役として派遣、大官香1把を献じ代拝させる。重豪も久譜を遣わし同じ品を献じ拝させる。また城下隆盛院を大翁公の墓地とし、越明年10月18日に同寺へ石塔を再建、家老島津安房久備を遣わし大官香1把で同様に拝させる。重豪が老いても志があったための挙と評する。文化10年は目録による。墓地選定と翌年・翌々年の再建追記を分け、亡失墓の実位置を発見したとはしない。