前編2-No.2200記事確認度 高
宮里氏系図
年月日未詳 / 冊子 719頁
宮里孫九郎正勝が天文二年七月三日の薩摩百次合戦で太刀初めをし、その時は彦六左衛門尉と称したことを記す系図記事。
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年月日未詳 / 冊子 719頁
宮里孫九郎正勝が天文二年七月三日の薩摩百次合戦で太刀初めをし、その時は彦六左衛門尉と称したことを記す系図記事。
永禄十二年五月六日 / 冊子 217~218頁
五月六日、家久を一番の伏兵大将として戸神尾に、大野・宮原勢三千騎を稲荷山に置き、番替え部隊を餌に大口・相良勢を誘った。敵が荷物を奪おうと戸神尾へ殺到すると、家久の合図で伏兵が起こり、前田豊前守を太刀初めとして敵を崩し、百三十六首と捕虜一人を得た。家久の装束・武具・月毛の馬を詳しく描き、その姿を摩利支天のようだと称える。
年月日未詳 / 冊子 632頁
洲俣対岸の桑木の中が敵で占められるなか、後続の舟が沈んで二人が死亡した。乗馬衆は前日に義弘が竹で示した徒渉線を渡り、押川郷兵衛が対岸を偵察して敵を討ち取る。翌朝、石田三成はこれを大垣での太刀初めの手柄として賞し、大判一枚を与えた。