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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

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旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 133標幟図・所蔵注記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

唐土より与へられたる標幟

山川浦人大迫某が所蔵する、唐土から与えられた標幟を示す資料。所蔵者注記のみの短い切片。

登場人物
山川浦人大迫某
宛先
なし(標幟)
キーワード
唐土より与へられたる標幟、山川浦、大迫氏
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-3系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肝付兼清流系図

兼清治右衛門を起点とする肝付氏庶流系図。兼清は没年月・法名不詳とし、志布志士永山主計の二男兼陳を嗣子がないため養子に迎えたことを記す。兼陳は慶長二年生、万治三年没・六十四歳、法名亭月陳長上坐。兼林・兼高以下についても、寛永・明暦・寛文・天和・宝永・享保・宝暦・明和期の出生・没年、法名、母方を列記する。志布志士川野・久保・愛甲・瀬戸口、皿良・大脇・平田・大迫・吉国・坂元などとの婚姻を示し、別家、肥後源五左衛門・河野佐市兵衛・吉国次郎右衛門への養子、女子の嫁家を系線で整理する。末尾は兼典四郎の明和九年五月二十九日出生記事で終わる。

登場人物
肝付兼清、兼林、兼高、兼陳、兼泓、兼孚、兼通、兼易、兼典、永山主計、川野新右衛門、久保清左衛門行祖、愛甲勘左衛門季貫、瀬戸口源左衛門、野村新蔵、皿良金左衛門、平田半之丞、肥後源五左衛門、河野佐市兵衛、大迫新左衛門、吉国次郎右衛門、坂元甚兵衛、瀬戸口源次郎、坂元正助
宛先
—
キーワード
肝付兼清流系図、兼清治右衛門、兼陳、養子相続、慶長二年、万治三年、亭月陳長上坐、兼林、兼高、志布志士、川野氏、久保氏、愛甲氏、瀬戸口氏、皿良氏、平田氏、大迫氏、吉国氏、坂元氏、別家、他家養子、婚姻、出生、没年、法名、明和九年
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:32系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

梶原左近尉系図

梶原左衛門景時の二男景高を祖とし、景純以下、純家・兼純・滋純・信純・義純・重純・政純・元純・氏純・房純・成純・尚純らへ続く梶原左近尉家の系図。滋純が北条弥次郎を号して日置に住み、建武元年に下大隅へ入ったこと、信純が応安五年の日州合戦で御旗の役を務めたこと、政純が島津久豊の東福寺城で重代の太刀を守る番役中に討死したことを記す。元純については島津忠昌の隅州正八幡宮初詣供奉と年代矛盾を記録官史が指摘し、政純の子ではないとする。氏純・房純・成純らの官途、加世田での死、島津貴久への奉公、寛永七年に江戸で島津家久の命を受け、大迫と称していた家名を梶原左近尉へ復した由来も載せる。さらに尚純の母方について、志賀播磨が降参時に携え島津義弘へ献じた瀧田九郎の娘二人のうち、姉は曽木五兵衛に嫁ぎ、妹が尚純に与えられたと記す。

登場人物
梶原景時、梶原景高、景純、純家、兼純、滋純、信純、義純、重純、政純、元純、氏純、房純、成純、尚純、掃部重純、友純、島津久豊、島津忠昌、島津貴久、島津家久、島津義弘、志賀播磨、瀧田九郎、曽木五兵衛
宛先
—
キーワード
梶原左近尉系図、梶原景時、梶原景高、二男、北条弥次郎、日置、建武元年、下大隅、応安五年、日州合戦、御旗之役、東福寺城、重代御太刀、討死、応永二十四年、隅州正八幡宮、元禄十年記録官史、加世田、大迫氏、寛永七年、江戸、梶原復姓、島津家久、島津義弘、志賀播磨、瀧田九郎、曽木五兵衛、養子、官途、法名