島津義久譜
年月日未詳 / 冊子 123頁
高知尾へ派遣された宮崎衆の田中筑前が帰還し、入田氏の薩摩方帰属は確実だと報告した島津義久譜の記事。これを受け、十一月二十四日に豊後方と対峙し、梅口・佐伯口から同時に薩摩軍を進発させる計画を記す。入田氏の帰属判断が豊後方面への二正面作戦へ直結したことが分かる。
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年月日未詳 / 冊子 123頁
高知尾へ派遣された宮崎衆の田中筑前が帰還し、入田氏の薩摩方帰属は確実だと報告した島津義久譜の記事。これを受け、十一月二十四日に豊後方と対峙し、梅口・佐伯口から同時に薩摩軍を進発させる計画を記す。入田氏の帰属判断が豊後方面への二正面作戦へ直結したことが分かる。
明和二年四月二十七日 / 冊子 92~93頁/原整理番号 181の81/整理ID 181-81
曲淵勝次郎・松平庄九郎・松平縫殿頭・夏目藤四郎・新庄織部から別紙一通を受けたため、大膳大夫・相模守へ申し聞かせたところ、同席の各家から通達するよう命じられたとして、写しを順に廻す。各家からの返答は不要ではないかと思うと述べ、通達が済んだ後は差出側から届ける予定とし、廻状を確認したうえで返すよう求める。嫡子がいる家には御付の家衆へも知らせるよう追記する。四月二十七日、池田家の塩見幸左衛門と、毛利家側の嶋田市三郎・吉田半兵衛・都野彌右衛門・有福庄右衛門の記載に続き、順不同の宛名を載せる。朱書には、昨夜中に大膳大夫の家から届いたものを書写して差し上げた旨を、翌二十八日に有川勇馬が左中様へ報告したとある。本文の順達と朱書の到来・書写報告を区別する。
天正六年正月十六日以後 / 冊子 589~591頁
日向が島津領となると、伊東方の残党が縁故に従って帰属し、従わない者は誅伐された。義久は正月十六日に都於郡へ入り仕置を進めるが、伊東旧臣らは豊後の義祐・大友父子に再興を訴えた。門川・塩見・山陰・三城の城主らが人質を出しながら豊後方へ内応し、大友軍を迎え入れる一方、人質の米良弥八郎らは警固を破って脱出し父のもとへ向かった。