西国時通外二名連署書状案
十月十二日 / 冊子 247~248頁
西国時通らが、秋月家家老の入江三左衛門一行の通行を知らせた書状案。入江は父子三人・弟一人・女房衆五人を含む上下四十五人で唐津方面へ向かい、野尻に宿泊後、八日町の三学院付近へ到着したとする。伊地知杢右衛門からの連絡を受け、宿泊・通行への対応を関係者へ申し送っている。
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十月十二日 / 冊子 247~248頁
西国時通らが、秋月家家老の入江三左衛門一行の通行を知らせた書状案。入江は父子三人・弟一人・女房衆五人を含む上下四十五人で唐津方面へ向かい、野尻に宿泊後、八日町の三学院付近へ到着したとする。伊地知杢右衛門からの連絡を受け、宿泊・通行への対応を関係者へ申し送っている。
十月十二日 / 冊子 248頁
西国時通らが、秋月家家老の入江三左衛門一行が翌日に当地へ通行する予定であることを知らせた書状案。父子三人・弟一人・女房衆五人を含む上下四十五人で唐津方面へ向かい、前日に野尻、当日に八日町へ宿泊した経路を示し、宿所・通行の準備を求めている。
正平12年10月5日(1357、同文参照)~永和3年10月28日(1377)の記事 / 冊子 431頁/原整理番号 13-3
冒頭は『諸家系図文書』10の5号文書と同一のため、正平十二年十月五日付島津師久書状を省略する。参照先は加治木合戦中の師久が牛屎左近将監へ援軍を求めた書状である。続いて康安元年九月二十六日、牛屎左近将監高元が一族、和泉下司諸太郎兵衛尉政保、隅州馬越藤四郎行家、肥州芦北七浦等の一族と同心し、官領武州の合戦に関して肥後路で約三年間戦った軍歴を記す。永和三年十月二十八日には将軍家方として四十五人が一味同心の一揆契約を結び、そのうち当家一門七人として高元、羽月石見守元豊、山野左衛門尉元詮、牛屎河内守元息、太田沙弥元清、青木沙弥元生、鳥越隼人佑義元を列挙する。系線は元息(法名祖英)から元勝(同彦太郎・法名聖元)へ続く。
年月日未詳 / 冊子 700~701頁
吉松の伊東勢との合戦で遠州三か所へ切り込み、敵百四十五人を射殺して退け、清水・姫木方面の城衆を動員して警戒を続けた戦況報告。
安永八年亥九月十九日から安永十年辛丑三月十八日までの記録 / 冊子 575~576頁/原整理番号 1633/整理ID 1633
桜島池田氏蔵年代記による記録。安永八年亥九月十九日夜入五ツ時分に地震があり、十月朔日四時分まで止まらず、四ツ半過ぎに嶽白水の後ろで権現宮に当たる方向に煙を認め、八ツ時分から有村上の燃ノ頭辺に黒煙、続いて高免村上の瓶掛辺から燃え出たとする。高免沖に島二つ、十一月六日夜に島一つ、十二月十一日晚に島一つが出て高く広くなり、翌年四月八日には白砂島で島二つが湧き出たと記す。十月朔日には炎火・大石・軽石・砂灰が巻き上がって五日間降り、高免から古里の人々は谷山・喜入・今和泉・垂水・牛根・福山・国分内の小村へ逃れ、湯ノ村から白濱の人々は鹿児島の磯・脇元・重富へ逃れた。十月七・八日から帰った者もあるが、燃元に近い白濱村・湯ノ村は中旬まで戻れず、逃れた遠外城で賄いを受け、その後米を与えられた。古里から高免の家々は焼け、元の場所で住めないため、鹿児島の砂糖蔵内に木屋を掛け「明蔵六ツ」へ入れ置き、瀬戸村の人は上築地の池田庄右衛門明屋敷の木屋三つ、松岡伊右衛門屋敷の木屋一つに入れたと記す。給米は原に「取付三日壱人三合五夕ッ」、その三日には刊注「壱日カ」があり、その後は五合ずつ、薪も与えたとする。人数欄は二千三百三十四人、衆中四百三十五人(上男百九十八・下男四十四・上女百五十五・下女三十八)、社人三十九人、百姓千八百六十人とする。社人の小字内訳は男二十一・下人一・女十二・下女一で総数と一致しない。死者は別に百四十七人、小字は衆中二十四人(上男九・下男三・上女十一・下女一)、百姓百二十一人(男六十一・女六十)を記し、記された区分の合計は百四十五人で、総数との関係が不詳である。安永九年子八月十一日夜九ツ時分には大煙と光・大きな音、浪三丈ほど、小池濱辺で二丈ほどの浪を記し、白濱村の者が避難した後静まり、砂島が大きくなったとする。同年十月四日夜四ツ時前の燃え・遠炎・大音・大浪も記す。安永十年辛丑三月十八日暮七ツ時分には高免村前の新しい島が燃え、泥を吹き上げ、津浪があり、白濱村の男五人・女一人が波に引かれて死んだとする。後年の波による六人の死亡は別の条で記される。
寛永9年8月19日 / 冊子 25~32頁/原整理番号 31
東表出陣時の一番から五番・御旗本まで、各大将と諸所衆の乗馬、鉄炮、弓、鑓、手明、夫丸を知行高とともに列挙する。江戸へ提出する目録として、総人数二千八百四十五人、乗馬衆六百七十四人、鉄炮千八百六挺、弓六百四十七張、鑓六百五十三本、昇四百二十本を集計する。