後編1-No.131文書確認度 高
山川郷霧島神社造立棟札
永禄二年四月五日 / 冊子 70頁
山川郷の霧島神社を造立した棟札。大檀那伴兼堅の息災延命を願い、大工・小工・鍛冶の名を記す。
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永禄二年四月五日 / 冊子 70頁
山川郷の霧島神社を造立した棟札。大檀那伴兼堅の息災延命を願い、大工・小工・鍛冶の名を記す。
永禄五年五月吉日 / 冊子 106頁
日新が頴娃山城入道との信頼関係について、合意した条項を守り、他方からの妨害や中傷を信用せず、両者の間に雑説が生じた際は直接問い合わせて確かめると神々に誓った起請文。
永禄五年四月廿九日 / 冊子 106~107頁
義久が頴娃山城入道に対し、今度の雑説をめぐって互いに疎略なく、敵方がどのような計略をめぐらしても同心せず、世上がどう変化しても一味して奉公し、相手に謀略を用いないと誓った起請文。
年月日未詳 / 冊子 18~19頁
補陀洛渡海を試みた日秀上人は舟も身も滅びず琉球の浦へ着き、国人から霊妙として尊崇された。その後薩州坊津へ戻り、琉球の珍材を用いて一乗院の堂塔を補修し、多宝塔を建立して五仏を安置した。島津忠良・貴久・尚久らを大檀那とする各仏像心柱の銘も収める。