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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

5 件 (全巻)/ 1–5件を表示

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後編2-No.122記事確認度 高

島津義久譜

天正十四年二月十六日、豊後の入田宗和が宮崎へ使者を送り、高知尾境の情勢と志賀道益の動きを報告した島津義久譜の記事。志賀方が大友方の拠点・所領を奪ったのち入田氏との盟約へ傾き、豊後国内へ進出しやすくなったと伝える。入田氏の帰属が豊後侵攻の足掛かりとして評価されたことが分かる軍情報である。

登場人物
島津義久、入田宗和、上井伊勢守、高知尾衆、志賀道益、大友氏
宛先
記事
キーワード
島津義久譜、島津義久、入田宗和、高知尾、志賀道益、大友氏、豊後、宮崎、盟約、軍情報
後編2-No.207記事確認度 中

日向記

『日向記』は、十月の豊後侵攻で島津勢が日向口から南郡へ入り、三重・入田方面の城々を攻めた経過を記す。志賀道益ら豊後方との内応交渉を背景に、夜間の入田館攻め、城兵の退却、城の受け取りや諸将の配置を叙述する。島津義弘の改名記事も挟み、日向側に伝わった進軍と城郭接収の順序が分かる。

登場人物
島津義久、島津家久、島津義弘、志賀道益、入田宗和
宛先
—
キーワード
日向記、島津義久、島津家久、島津義弘、志賀道益、入田宗和、豊後侵攻、入田館、夜襲、城郭接収
後編2-No.223文書確認度 高

島津義久書状

本文はNo.224と同文のため省略されている。島津義久が入田丹後入道へ、境目への出陣後に両口の諸城が順調に攻略されたことを報じ、祝意の書状と鉄砲の贈答を喜んだ書状である。敵方の計略は成功しないとの見通しを示し、今後の働きにも期待しており、豊後戦線で内応した入田氏との軍事連絡を伝える。

登場人物
島津義久、入田宗和
宛先
入田丹後入道殿
キーワード
島津義久書状、No.224同文、島津義久、入田宗和、入田丹後入道、豊後侵攻、城郭攻略、鉄砲、内応、同文省略
後編2-No.224文書確認度 中

島津義久書状

島津義久が入田丹後入道へ、境目へ出陣したところ両口の諸城が順調に攻略されたことを報じ、祝意として届いた書状と鉄砲を喜んだと伝える。敵方の計略は成功しないと見通し、今後も働きを期待した書状で、豊後戦線で内応した入田氏との連絡と武器贈答を示す。

登場人物
島津義久、入田宗和
宛先
入田丹後入道殿
キーワード
島津義久、入田宗和、入田丹後入道、豊後侵攻、両口、城郭攻略、鉄砲、武器贈答、内応、書状
島津世禄記-A28記事関連史料(外伝)確認度 高

豊後征伐之事 付 九州配分之事 并 秀吉公発向九州事

伊東氏を保護した大友氏が秀吉へ島津征伐を求めたことに対し、義久が先に豊後へ攻め入った経過と、秀吉の九州国分け・征伐命令を記す。入田宗和・志賀道益ら大友方内部の離反を受け、新納忠元が密使を送り、天正十四年十月、義弘を大将とする三万七百余騎が肥後側から豊後へ進む。義弘勢は野尻・高城・津賀牟礼・松尾・鳥嶽などを攻略し、家久勢も日向側から三重方面へ進んだ。秀吉は島津・伊東・大友らの所領を配分する調停案を示して戦争停止を求めるが、島津方は従わず、十二月の戸次川方面の戦いで大友義鎮・仙石秀久・長宗我部信親・十河存保らの軍を破り、信親・存保を討つ。翌天正十五年、秀吉はこれを命令違反として九州征伐軍を進める。島津勢は府内・野上・玖珠方面から撤退を決め、義弘・家久は日向路、歳久・征久・忠元・伊集院久春らは肥後路へ分かれる。清田・三重・梅の隘・坂無・谷山・八代で追撃を受けながら防戦し、忠元らは国人の離反と豊臣方の海陸大軍の接近を見て、人吉を経て薩摩へ帰る。豊後侵攻の進展、戸次川での勝利、秀吉の国分け命令違反、豊臣軍来襲による撤退を一連の転換として描く。

登場人物
島津義久、島津義弘、島津家久、島津歳久、島津征久、島津忠長、新納忠元、伊集院忠棟、伊集院久春、入田宗和、志賀道益、大友義鎮、豊臣秀吉、仙石秀久、長宗我部信親、十河存保、伊勢貞昌、大野久高
宛先
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キーワード
豊後征伐、九州国分け、戸次川合戦、秀吉九州征伐、豊後撤退、肥後路・日向路