伊集院元巣久信知行目録
慶長十六年五月十日 / 冊子 336頁
慶長十六年五月十日付の伊集院元巣知行目録。宮原村・下田村などの田畠、高、分量を列記し、合計米・大豆・石高を示して伊集院肥前入道元巣の知行を確認する。
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慶長十六年五月十日 / 冊子 336頁
慶長十六年五月十日付の伊集院元巣知行目録。宮原村・下田村などの田畠、高、分量を列記し、合計米・大豆・石高を示して伊集院肥前入道元巣の知行を確認する。
七月七日 / 冊子 550頁
伊集院元巣久信が、文禄四年十一月に伊作地頭職を命じられ、慶長五年まで四年間、公儀から選任されて御宝物の虫干しを自ら勤めたこと、慶長五年に伊作へ移ったことを、後日の証拠として書き残した申状。
年月日未詳 / 冊子 36~37頁
島津常久の公宅警衛の番替と帰国航海を記した記事。十一月四日に川田大膳正、同月二十日に伊集院肥前入道元巣が常久に代わる警衛として上京した。常久は同月二十六日に伏見を発ち、十二月五日に大坂から福島へ、同月八日に伝法から播州室津へ進んだが、逆風のため航海が滞った。同月十九日に筑前唐泊へ繋船して船中で越年し、慶長十一年正月八日未刻に薩摩へ帰着した。
年月日未詳 / 冊子 159~160頁
島津家久をはじめ十二名が、実窓芳真大姉を追悼して詠んだ和歌集。月・夢・春・野・仏跡などを題材に、故人への悲しみと供養の心を表す。
慶長十六年六月廿五日 / 冊子 339~340頁
慶長十六年六月二十五日、大窪仲左衛門尉ら三名が、知行地から一石につき五分の割合で徴収した銀子について、村別の高・銀額と合計を記した連署請取状。
慶長五年十二月 / 冊子 720-721頁
伊集院久信(元巣)が、島津義久(龍伯)・惟新(義弘)・少将(忠恒)への忠節を誓い、高麗出陣時に義弘への申告をめぐって壱岐と血判の盟約を結んだとの風聞を否定する。親子・親類・他人を問わず逆心や不正を知れば言上し、隠蔽しないことも誓約する。
(慶長五年頃) / 冊子 730頁
伊集院久信(元巣)が島津義久(龍伯)・義弘・忠恒への忠節を誓い、高麗出陣時に壱岐と血判の盟約を結んだとの風聞を否定した起請文。本箇所はNo.1416と同文のため本文が省略される。
年月日未詳 / 冊子 350~351頁/原整理番号 48
北原兼守の死後に兼正らが横川城へ籠もったため、島津方が攻めた時の忠元の働きを記す。伊集院久春が先に登り、忠元は城門で槍を用いて戦い、城は陥落した。別の記事では伊集院元巣と城戸口で戦った際の負傷や、溝辺に貴久が滞在した時に両人を派遣したことも記し、攻城での忠元の功を伝える。
年月日未詳 / 冊子 351頁/原整理番号 49
横川城を落とした際、忠元が城戸で伊集院元巣と協力したことを記す年譜。伯囿が溝辺へ滞在していた時に両人を派遣し、城を攻め落としたという。
年月日未詳 / 冊子 352頁
伊集院久春(千代・源助・肥前守、入道名元巣)を起点に、母を伊地知左近将監重貞の娘と記す伊集院氏系図。久春が島津義弘の代に家老職へ補任されたことを掲げ、伊集院氏の家格と家中での位置を示す。
年月日未詳 / 冊子 526~531頁
伊集院久春(元巣)が十七歳以来、牛根・横川・飯野・馬越・敷根・長野城・荒平・穂北・安徳城・岩屋城などで負傷を重ねながら戦った軍功を詳述する譜。朝鮮へ七年間供奉し、撤兵時にも諸将を救った忠節までを『決勝記』として顕彰する。