後編1-No.942記録確認度 高
大村重頼古戦書付
天正五年十二月八日以後 / 冊子 525~526頁
福永丹波守が伊東義祐に背いて野尻城へ義弘を迎え、義祐が豊後の大友氏を頼って退去し、日向一国が島津領になったと記す。異書として、十二月七日夜から島津勢が入り、八日未明に義弘が城を受け取り、義久も大軍で日向へ進んだ経過を載せる。
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天正五年十二月八日以後 / 冊子 525~526頁
福永丹波守が伊東義祐に背いて野尻城へ義弘を迎え、義祐が豊後の大友氏を頼って退去し、日向一国が島津領になったと記す。異書として、十二月七日夜から島津勢が入り、八日未明に義弘が城を受け取り、義久も大軍で日向へ進んだ経過を載せる。
年月日未詳 / 冊子 132~133頁/原整理番号 483
肝付次右衛門家の系図。弥五介に実子がなく、肝付金右衛門尉兼利の嫡男を養子とした由緒を記し、その伝右衛門尉が万治元年九月八日に没し、法名を光徹芳清としたとする。伴九郎弥五介は島津義弘に供奉して朝鮮で戦死した。以下、兼頼・兼広・兼近らの分岐、女子の婚姻、養子、出生・死亡年月日と法名を列記する。
享保十四年十二月二十六日 / 冊子 38~40頁/整理ID 35
竹姫に附属する御同朋・御台所人・小間遣・小姓・中居など多数の奉公人について、役職・氏名と石高・扶持人数・薪・油・湯之木・五菜銀等の給付額を列記した書上。