加久藤衆連署書状
正保三年四月二十六日 / 冊子 41~42頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0072
加久藤噯所案文。四人が伊主膳正へ、出水での大狩に伴い加州様が人数を召し集め、前朝出立したことを承知したと返答する。地元衆も加わる場合には事前の注進を頼み、今朝刑部様へ飛札し、求厂にも一人を派遣したと伝える。今回の狩の様子を詳しく聞いた時や帰宅時には知らせてほしいと依頼する。
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正保三年四月二十六日 / 冊子 41~42頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0072
加久藤噯所案文。四人が伊主膳正へ、出水での大狩に伴い加州様が人数を召し集め、前朝出立したことを承知したと返答する。地元衆も加わる場合には事前の注進を頼み、今朝刑部様へ飛札し、求厂にも一人を派遣したと伝える。今回の狩の様子を詳しく聞いた時や帰宅時には知らせてほしいと依頼する。
正保三年四月七日 / 冊子 38頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0066
新納忠清が、和泉守の鹿児島行きを承知し、万事怠りないよう依頼する。伊主膳正の煩気が早く快復したことを喜ぶ。馬関田との境出入は鹿児島奉行所から指示を得て処置したが、今後難しくならないよう行司衆にも堅く申し渡し、重ねて相談するよう求める。宛先は川野与右衛門・西田和泉守・白坂大炊左衛門。
正保三年四月二十七日 / 冊子 42頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0073
加久藤噯所案文。二人が飯野御噯衆中へ、江戸で今月七日に犬追物が行われ、無事だったとの消息を伝える。別件として、出水の大狩に伴い加州様が菱刈の人数を召し集めて前日に出立し、伊主膳正も大口に逗留しているという。様子が不明なため鹿児島の新納刑部へ内証の飛脚を出し、その帰還は明日か明後日の見込みで、新情報があれば後で注進すると述べる。
年月日未詳 / 冊子 19~20頁/原整理番号 23
伊地知季安が、志岐氏・甲斐氏らが加藤家に仕えた後、加藤忠広改易を契機に薩摩へ来住して島津家・新納家・伊地知家へ仕えた由緒を考証する。肥後が治まった後も薩摩側が軍勢賦を怠らなかったことを、季安自身に連なる家臣系譜と結び付けて記す。
年月日未詳 / 冊子 720~721頁/原整理番号 747の6
島原の役で小原織部佑らが米銭出納を担った取払帳の来歴を考証する。表紙・巻末を失った横折小冊を享和三年の転居時に煤けた小桶から発見し、後に家伝・史館記録を調べて出陣記事を採録した経緯を述べる。織部自筆か疑う人もいたが、天保三年に子孫宅を調査し、承応元年の知行名寄や八月十二日付文書の筆跡・印形を帳簿と比較して筆者を確認したと記す。
延徳二年十二月廿四日 / 冊子 554~555頁
延徳二年、島津友久・忠幸が心を合わせ、田布施の諏方大明神二社の社殿を新造した際の棟札。大檀主に島津相模守友久・島津三郎左衛門忠幸、代官・地頭・律師・大工武本氏定・小工十八人など造営関係者を列記する。棟札本文では神仏への敬礼とともに、風災・水災・火災などの除去、領内安全、子孫繁昌を祈願し、十二月廿四日の造立であることを記す。