佐多西方仲次郎系図抄
年月日未詳 / 冊子 39頁
佐多西方仲次郎家の系図抄。内大臣平重盛から小松殿、維盛、六代殿維清へ続く平家の系統を掲げ、清重・小松七郎ら佐多西方家につながる人物を配置して同家の出自を示す。
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年月日未詳 / 冊子 39頁
佐多西方仲次郎家の系図抄。内大臣平重盛から小松殿、維盛、六代殿維清へ続く平家の系統を掲げ、清重・小松七郎ら佐多西方家につながる人物を配置して同家の出自を示す。
寛永廿年三月廿五日 / 冊子 231頁/原整理番号 171-8
沢原野御馬追に際し、狼狩の功労者と牧の囲いの修繕を扱う書状。狼を射た者らに礼を下し、囲いを新たに立てる区間を各地の人々で分担させる。人数や木材の負担をめぐる相談と、今後の維持管理を記す。
年月日未詳 / 冊子 78~79頁/原整理番号 336
内大臣平重盛から維盛・維清を経て、佐多氏の清重・清忠・清親・清治らへ続く系譜抄。大隅国祢寝郷との関係、佐多家の分流、御鹿倉・西方屋敷の由緒、光久からの褒賞、西方屋敷の氏神を山川から勧請したことなどを記す。日付欠。
万治2年8月18日(1659)の覚書・慶長6年(1601)~明和4年7月(1767)の系譜記事 / 冊子 437~445頁/原整理番号 13-7
冒頭に『高麗人諸事問条記一通、但十五ヶ条』と掲げ、平田清右衛門が淵辺量右衛門へ、ほかにも覚えている事柄を詳しく書き付けて提出するよう求めた万治二年八月十八日付覚書。御記録方で使用するための聞取であり、朝鮮軍記の提出控えは別紙にあると注記する。続いて元貞以下の淵辺家系譜を収め、元貞が寛文元年に七十九歳で没して柿本寺へ葬られ、元辰・元隆・元智・元錦・元能・元苗・元儀・元詮・元長・元彬・元甫・元休・元堅・元伴・元次・元敏らの出生、幼名・通称・法名、母方・婚姻、早世・没年・墓所を各代ごとに記す。元辰は六歳で家久に召し出されて仲兵衛の名を受け、元隆は太守光久の目見を得て加治木の花堂・藤原重俊女を妻とし、元錦は太守光久への御目見、武州品川稲荷大明神への祈願成就、家督勤役と知行百壱石余を記す。元詮は天和三年に太守綱貴の初参勤供を務め、元苗は元文四年の清女産神・太田大明神参詣、元儀は綱貴・吉貴への御目見と町田・川上両家への奉公、元堅は太守継豊の初参勤供、元甫は島津小平太の供、元休は太守綱貴・重年への奉公、元詮系では太守吉貴・継豊の家督礼や島津家諸役を伝える。末尾は明和四年七月朔日、太守重豪への初而奉拝記事まで続き、近世淵辺家の奉公・婚姻・家督・墓所を世代順にまとめる。
慶安元年九月廿六日 / 冊子 167頁/原整理番号 120
慶安元年九月二十六日の「初日二番四角之外」犬追物手組。島津大膳亮二疋、島津主計頭三疋、島津安藝守四疋などを記し、検見を島津圖書頭、喚次を島津仲次郎とする。
慶安元年九月廿七日 / 冊子 168頁/原整理番号 123
慶安元年九月二十七日の「二日四角之外」犬追物手組。島津安藝守二疋、伊集院源助五疋、本田久左衛門尉三疋などの配当を記し、検見に光久様、喚次に島津仲次郎を挙げる。