川上久隅譜
年月日未詳 / 冊子 731頁
川上久隅の通称・官途・入道名を掲げ、父昌久の死後に川上城で勝久方の軍勢へ攻撃を加え、負傷しながら敵を退けた経歴を記す。
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年月日未詳 / 冊子 731頁
川上久隅の通称・官途・入道名を掲げ、父昌久の死後に川上城で勝久方の軍勢へ攻撃を加え、負傷しながら敵を退けた経歴を記す。
八月十一日 / 冊子 58~59頁
川上久隅が河上次郎左衛門尉に、久しく音信がなかったことへの案じと、上洛により延期された企てについて返答した書状。愚息左衛門尉の行末を頼み、贈られた中紙二束への礼を述べる。本文末尾は八月十二日、巻末目録は八月十一日であり、切り抜き照合により原資料内の日付異同と確認した。
七月廿五日 / 冊子 59頁
川上久隅が河上次郎左衛門尉に、次郎左衛門尉の役務が無事に整ったことを喜び、今後も励むよう求めた書状。途絶えかけた連歌を再興するため連衆を差し出したこと、日州の役務も御老中衆と相談して進めることを伝える。
天正三年十一月廿五日 / 冊子 441~443頁
島津義久を中心に珠玄・珠長・久隅・芳渓・宗運・上井覚兼らが詠んだ百韻連歌。発句「嶺とをき雪やつりはり玉簾」から、四季・旅・恋・述懐などの句を連ね、末尾に各人の句数を記す。
天正四年二月十七日 / 冊子 466~468頁
島津義久を中心に其阿・芳渓・珠玄・珠長・久隅・意外・賀雲・上井覚兼らが詠んだ百韻連歌。発句「遠山も見るやこゝろの花盛」から四季・旅・恋・述懐などを連ね、末尾に各人の句数を記す。
年月日未詳 / 冊子 714頁
川上氏十代久隅以後の家督相続を記す系図。長男久利には家督を譲らず、二男久通の子久貞を後継に定め、久貞の母へ自筆書状を与えた経緯を載せる。目録では独立書状ではなく系図抄(二)として掲げられる。
天正八年正月二十五日 / 冊子 643~645頁
天正八年正月二十五日、島津義久ら十三人が催した百韻連歌。『若葉さす梅に立ならふ木ともなし』を発句とし、春景・旅・恋・月・秋・神祇などを詠み継ぎ、末尾に各人の句数を記す。確定版年月日は年次数字を欠くが、本文年紀は天正八年と読める。
天正三年三月十五日 / 冊子 431頁
三月十五日の犬追物で定数の犬を射終えた後、義久が桟敷で三献を行い、川上久隅・歳久・喜入季久・川上経久が同席した。川上経久へ馬・太刀を与え、射手を手組の順に召して盃酒を賜った儀礼を記す。
天正五年十一月十三日 / 冊子 521~522頁
鹿児島馬場で行われた天正五年十一月十三日の犬追物手組。四角に配した義弘・歳久・家久・久隅・征久・喜入季久らの射犬数、検見・喚次を記す。
天正五年十一月十五日 / 冊子 522頁
天正五年十一月十五日の犬追物手組。義久の検見のもと、義弘・歳久・家久・征久・久隅・喜入季久らを四角に配し、各人の射犬数と検見・喚次を記す。
天正三年三月十五日 / 冊子 430~431頁
天正三年三月十五日の代始犬追物の手組で、義久が二十九疋を射たのをはじめ、各射手を角ごとに配し、射犬数と検見・喚次を記録する。終了後は桟敷で三献を行い、川上経久に馬・太刀を与え、射手を手組順に召して酒を賜った。
天正三年三月十六日 / 冊子 431頁
天正三年三月十六日の犬追物手組として、島津以久・新納忠実・頴娃久虎らの射手、各人の射犬数、検見・喚次を列挙する。
天正三年四月廿一日 / 冊子 435頁
琉球使節慰労の犬追物手組で、義久・歳久・征久ら射手の配置と射犬数、検見・喚次を記す。琉球衆の桟敷を馬場西北の犬橋辺に設け、雪辱和尚も同席した。天界寺南叔が漢詩を作り、雪辱・東雲以下が和韻し、義久ら一族は和歌を詠んだ。本文日付は天正三年四月二十一日と読める。
天正三年十月廿一日 / 冊子 440頁
加世田で犬百匹を射立てた天正三年十月二十一日の犬追物手組。四角の射手、各人の射犬数、検見と喚次を記し、島津歳久・家久、新納忠元、島津忠長らが参加した。
天正四年四月九日 / 冊子 474~475頁
近衛前久の台覧に供した天正四年四月九日の犬追物手組。四角に配した射手、各人の射犬数、検見・喚次を記し、島津征久・歳久・忠長、喜入季久らが参加した。
天正四年四月十四日 / 冊子 475~476頁
「月前郭公」を題に、島津義久・近衛前久・伊勢貞知・島津歳久・新納忠元らが詠んだ和歌集。月夜の郭公の声を都・雲居・旅情などに結び付け、天正四年四月十四日の会として収める。
天正九年二月廿五日 / 冊子 684~686頁
天正九年二月二十五日、島津義久ら十五人が催した百韻連歌。『うくひすの花かさひろきさかり哉』を発句とし、春景・旅・恋・月・秋・神祇などを詠み継ぎ、末尾に各人の句数を記す。
天正十年九月廿二日 / 冊子 718~720頁
天正十年九月二十二日に島津義久らが催した長編連歌。『月影さむみ暮わたるなり』を発句として、都、旅、恋、四季、神祭などを詠み継ぎ、末尾に各人の句数を記す。
年月日未詳 / 冊子 398~400頁/原整理番号 128
天正四年卯月十四日の会で、夏の月と郭公を詠んだ歌を集める。義久・前久をはじめ、家中や僧・近衛側の参加者十八名の歌を、作者の名とともに掲げる。月明かり、都と山路、夜半・明け方、郭公の声が共通の題材で、忠元の歌も含む。作者名・題などには異本の注記が付される。
年月日未詳 / 冊子 400~401頁/原整理番号 129
山霞・柳露・花見などの景物から、待恋・契恋・恨恋・別恋、眺望・祝言まで、二十の題を配して詠んだ和歌を作者名とともに掲げる。忠元は鹿と氷の歌を詠み、義久・忠長・季久らも加わる。題や作者名には異本による修正注があり、天正四年卯月十四日の当座と記す。末尾に本詩を130番によって校訂した旨の注がある。
(寛永十一年)三月十七日 / 冊子 414~415頁
山田有栄が児玉筑後守へ、拾良地頭役の拝領を祝し、出水の児玉吉兵衛を拾良へ移す件、国境の人員移動、野村大学介の帰国、久隅守の暇などについて伝えた書状。