田代清久譜
年月日未詳 / 冊子 179~180頁
田代清久譜の記事として、応永五年十二月二十五日に清久が久助へ田代の諸村・山野に関する四通の文書を授け、その所領が子孫へ伝えられたことを記す。
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年月日未詳 / 冊子 179~180頁
田代清久譜の記事として、応永五年十二月二十五日に清久が久助へ田代の諸村・山野に関する四通の文書を授け、その所領が子孫へ伝えられたことを記す。
年月日未詳 / 冊子 182頁
田代清久譜の記事として、応永六年三月十四日に清久が久助へ書状を授け、田代内の田園と狩倉を伝えたことを記す。
年月日未詳 / 冊子 332頁
『島津国史』巻九の補注として、田代久助と清久に関する系譜上の注記を掲げる。
天和元年十二月廿四日 / 冊子 709頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1839
藤野久伴が藤野久助の死去後に請け取った安国寺申状、系図、八十七通の文書写本、古文書・歌書・仏書・伝授書などを、後年の覚えとして列挙した譲受文書目録。
年月日未詳 / 冊子 146~147頁/原整理番号 31
平清盛―重盛の流れを掲げ、資盛・維盛以下から実盛、国盛、時盛、兼盛、道清らを経て田代氏諸流へ展開する系図。時盛の代に当国へ下り、野上田・百引を知行し、源氏へ改姓して建部を称したとの伝承、兼盛が田代を号したこと、野峯崎・串良院の知行、宝光寺建立、高隈知行などを記す。宗次郎らの官途、島津忠昌・勝久期の加治木・帖佐における戦死と年齢・法名、鹿児島在住、川辺居住、慶長・元和・寛永・延宝期の生没記事を収める。また田代久助が島津元久の代、将軍として博多へ派遣される際に辞退したが、河蘇谷を副将として任ずる旨の御証判を元久から受けた逸話を付記する。
年月日未詳 / 冊子 510~513頁/原整理番号 26
桓武天皇―葛原親王―高見親王―高望親王から平氏諸流を展開し、良望・良将・良兼・良繁・良文の系、忠頼・将常以下の各地の祖、北条四郎大夫時家から時綱・時兼・時政・義時・泰時・時氏らへ続く北条系、惟衡―正度―正衡―正盛以下の伊勢平氏系を並記した系図。忠盛には三十三間堂建立、清盛には太政大臣・厳島再興、維盛には新三位中将、資盛・師盛・清度らには位官を注記する。田代氏の直接の系統では、時盛が伊豆守として当国へ下向し、野上田伊予坊を引いて知行し、源氏から平姓へ改めて建部氏を号したとする。光盛―秀盛―久季の久季は上洛して宇治川で討死し、佐多家が断絶して守護領となったと記し、時盛―実盛―国盛以下から道清・以久・清久・久助へ至る。以久は法光寺を建立し、氏久から良院・鹿屋内高隈村の宛行文書を受けたとし、清久には串良知行などの文書、久助には『三ヶ国の大将軍として探題へ参上』との注記を添える。
〈宝暦四年〉正月 / 冊子 457~458頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1389
宝暦四年正月、四箇所の普請場ごとに担当役人を掲げる名書。濃州桑原輪中から尾州神明津輪中は石野三次郎・高木新兵衛、尾州梶嶋村から勢州田代輪中は大久保荒之助・青木次郎九郎、濃州墨俣輪中から同国本阿弥輪中は浅野左膳・高木内膳、勢州金廻輪中から同国海落口濱地藏辺は新見又四郎・高木玄蕃が担当する。さらに四場を見回る吉田久左衛門を記す。各場の御徒目付と御小人目付を続けて列記し、桑原・神明津は御徒目付小知藤右衛門・原田又兵衛、梶嶋・田代は小川孫七郎・川崎市右衛門、墨俣・本阿弥は鈴木市十郎・中村忠左衛門、金廻・海落口は村山金三郎・吉田半太郎を置く。御小人目付も場別に記すが、全役人の通算人数は本書には記されない。本書では金廻の所属国を勢州と記す。行間には本書二通を御徒目付衆から受け、国元へ送る旨を記す。