後編2-No.561記事確認度 高
天正十七年・十八年覚書
年月日未詳 / 冊子 427頁
天正十七年の十七か条誓紙連判、八月の実明公上洛、同年秋の松齢公下向、天正十八年の久保公関東出陣を列記した覚書。 二年間の島津家中の主要行事を見出し形式でまとめたもので、誓約・上洛・帰国・軍事動員の時系列を簡潔に確認できる。
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年月日未詳 / 冊子 427頁
天正十七年の十七か条誓紙連判、八月の実明公上洛、同年秋の松齢公下向、天正十八年の久保公関東出陣を列記した覚書。 二年間の島津家中の主要行事を見出し形式でまとめたもので、誓約・上洛・帰国・軍事動員の時系列を簡潔に確認できる。
(天正19年)後正月20日 / 冊子 524頁
本文はNo.730と同文のため省略され、久保公御譜中にあると注記される。祢占重虎から預かった月毛の馬の手配に続き、伊達政宗の「逆意」をめぐる奥州情勢、秀吉の出馬の風聞、石田三成らの動向、自身も供をする覚悟を伝えた島津義弘書状の別写である。
元禄8年4月19日(末尾署日)・11月4日(別紙見出し) / 冊子 483頁/原整理番号 119-7
忠治公・久豊公・久保公・忠昌公・忠隆公の灰塚をめぐり、寺西の卵塔内に松を植えた場所、先祖の灰塚への石碑建立を申し述べる。末尾に福昌寺愚海の署名・日付があり、下段の図で石塔・灰塚などの位置を示す。
元禄8年4月19日(目録) / 冊子 543頁/原整理番号 89
忠治公・久豊公・久保公・忠昌公らの御灰塚の場所と石塔の建立をめぐり、福昌寺からの照会と旧記・見聞を記す。次頁上段右側まで続く。