飯米賦渡送状
11月23日 / 冊子 403~404頁/原整理番号 368の1
十一月二十三日、大迫休左衛門・唐仁原隼人佐・森田与三左衛門・久松四郎左衛門・森田八左衛門・野田内蔵丞・宇多与左衛門の各主従へ、真米・赤米各一斗五升を掲げる。小浦・片浦から出水へ向かう人衆乗船の上乗として、加世田衆中に同日以後三十日分の飯米を片浦で渡したことを記し、到着後も算用して支給するよう是枝喜右衛門へ伝える。
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11月23日 / 冊子 403~404頁/原整理番号 368の1
十一月二十三日、大迫休左衛門・唐仁原隼人佐・森田与三左衛門・久松四郎左衛門・森田八左衛門・野田内蔵丞・宇多与左衛門の各主従へ、真米・赤米各一斗五升を掲げる。小浦・片浦から出水へ向かう人衆乗船の上乗として、加世田衆中に同日以後三十日分の飯米を片浦で渡したことを記し、到着後も算用して支給するよう是枝喜右衛門へ伝える。
11月24日 / 冊子 413頁/原整理番号 376の3
十一月二十四日、大迫休左衛門・唐仁原隼人佐・森田与三左衛門・久松四郎右衛門・森田八左衛門・野田内蔵丞・宇多与左衛門の各主従へ、真米・赤米各一斗五升を記す。加世田衆中の上乗に十一月二十三日以後三十日分の飯米を渡すよう、三原源左衛門・永山覚右衛門へ命ずる。天草一乱に伴い小浦・片浦から出水へ遣わす乗船のための支給である。
11月22日 / 冊子 401頁/原整理番号 363
片浦から出す五枚帆二艘・四枚帆二艘(各水手八人)の主取・加世田衆中上乗を記す。続いて小浦から出す五枚帆一艘・四枚帆三艘(水手八人・八人・七人・八人)の主取と上乗を列記する。さらに船頭太兵衛尉の八端帆一艘(船頭・水手十一人、上乗なし)を小松原から出すよう命じ、この船は肥前商人から借り、積んだ「しやうのう」を下ろして出水へ向かわせると付記する。
寛永18年2月吉日 / 冊子 602~603頁/原整理番号 657
島原出陣時、隈城方面での人数捕縛、薩摩勢との協力、軍勢の差配と帰陣を回想し、子孫の見合書として残した山内淡路守の自記。
建久4年5月29日(1193、5月11日・13日の記事) / 冊子 425~426頁/原整理番号 11
富士野御狩について、横沢辺へ向かう命令、駿河国浮島原から富士山麓へ至る景観、諸国・諸氏から選抜された射手と騎馬の編成、狩猟当日の大群集を記した建久四年五月二十九日付抜書。五月十一日午刻に浮島原へ着き、同地を烈獵五年に湧出した希代の名所と説明し、東西南北の地勢や六王子宮居御座平を詳述する。十三日卯刻には二万一千余騎が横沢辺へ向かい、千葉・足利・畠山らが八か国から勝れた射手を選び、近江・信濃、上総・下総をはじめ多数の武士を三番・二番等の射手組に編成した。同日辰刻、富士山水精嶽東宮南大鳥居原は馬を立てる余地もないほどの大勢で満ち、騎馬の者が逸物を競い、草葉を分けて猪・鹿を追う情景を記す。藤原正行が梶原殿へ進上した文書で、末尾注記は射手組二番に大平薩摩四郎が含まれるため、渕辺家の先祖との見合い用に書写して置いたと説明する。