川上肱枕・新納旅庵・上井兼政連署領知目録
文禄五年十二月廿一日 / 冊子 62~63頁
川上肱枕・新納旅庵・上井神五郎兼政が連署し、桂藤五郎へ薩州市来の大里和田之門などの土地を、名屋敷・加増分を含め合計百石充行った領知目録。
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文禄五年十二月廿一日 / 冊子 62~63頁
川上肱枕・新納旅庵・上井神五郎兼政が連署し、桂藤五郎へ薩州市来の大里和田之門などの土地を、名屋敷・加増分を含め合計百石充行った領知目録。
12月20日、天正4年2月彼岸日 / 冊子 161~164頁/原整理番号 43-1
二つの文書と菱刈氏系譜記事を現行一件に収める。第一は十二月二十日付で、伊集院忠金・川上忠克(意釣)・三原重秋が新納忠元へ送った連署状。菱刈四郎が曽木を差し上げた後も在所が定まらないため、従前の奉公に報いて花北一所を与え、追って加扶持する上意を伝える。続く隆豊の伝記は、文禄元年に島津義弘・久保に従って朝鮮へ渡り、江原道・南原・唐島番船で軍功を挙げ、慶長三年の交戦で負傷して壱岐から帰国したこと、慶長四年の伊集院忠真による庄内の乱、同五年の関ヶ原で義弘旗下に戦ったことを記す。帰国後は重秀の家督代を務め、重栄を後嗣として花北へ戻り、慶長十五年には琉球へ渡航し、元和四年に没した。重種は島原の乱・上洛に供奉し、大口衆頭、鹿児島城下勤仕を経て加久藤で養老した。第二は本文中に『43の2』とある天正四年二月彼岸日付の菱刈一族並他門交名注文で、菱刈・曽木・長池・入山・藤島・井手籠・得光・柿木原・花北等の一族・他門名を列挙し、菱刈大膳亮隆商が証判する。
寛永十八年十一月四日 / 冊子 169~170頁
佐多門弥ら十二名が、召し出された際には命令に従い、内密の事柄を漏らさず、徒党や企てに与せず、不正を知れば申し上げ、親類・縁者をえこひいきしないことなどを誓った連署起請文。違背した場合には梵天・帝釈、国内諸神、熊野権現ほか多数の神仏の罰を受けるとする。