島津竜伯書状
文禄4年7月25日 / 冊子 903頁
竜伯は、鹿児島で起きた過去の密会・使者の処置について家久へ指示し、白浜二郎九郎と市来七郎次郎を早々に処断するよう求める。 図書頭と相談し、事情にふさわしい者へ実行を命じるよう重ねて述べた、家中統制の厳しさが分かる書状。
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文禄4年7月25日 / 冊子 903頁
竜伯は、鹿児島で起きた過去の密会・使者の処置について家久へ指示し、白浜二郎九郎と市来七郎次郎を早々に処断するよう求める。 図書頭と相談し、事情にふさわしい者へ実行を命じるよう重ねて述べた、家中統制の厳しさが分かる書状。
六月二日 / 冊子 385頁
島津龍伯が、贈られた知行への礼として河上七郎次郎を派遣したことを伝える。また、本源右衛門尉が治少老から神文血判を求められたとの風聞に疑念を示し、心得のため知らせるので他言しないよう求めた書状。
元和6年 / 冊子 178~179頁/原整理番号 59
伊東権角家の系図。曾我大臣の末孫・曾我兵部祐清の二男とする祐泰を祖とし、祐泰は井尻を号して八郎右衛門・七郎次郎を称した。祐貞(七郎右衛門・八郎次郎)から、祐徳(権之介・七郎右衛門)、祐守(九郎次郎・佐渡)、祐俊(八郎右衛門・早左衛門)へ続け、別系に祐元(九郎次郎・佐渡守)、祐宗(九郎次郎・佐渡守)、祐雪(九郎次郎・相左衛門)を掲げる。祐宗は高原で戦死した。末尾の祐保は八兵衛・権右衛門を称し、元和六年に相模国の宗家・伊藤惣左衛門祐重を請い、井尻から伊東氏へ改めたと記す。身帯逼迫のため御酒蔵役・御里役を務めた。
年月日未詳 / 冊子 478頁/原整理番号 79
川上忠通の譜。島津家久夫人が国分へ隠居した際、家中の重要文書が譲られていなかったため、忠通が使者として国分へ赴き、譲渡された文書を持ち帰って賞された経緯を記す。川上七郎次郎文書の一通。