HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
冨山備中守入道
異名・検索語:冨山備中守入道/富山備中守入道/備中守/蘭慶常香居士
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:福昌寺内墓所の小字は翁心軒のように見えるが字形を留保する。墓所所在地を没地としない。/酒瀬川奉膳兵衛は上下段をつないだ人名。読み仮名と他史料との同定は未確認。/七十五人討取と備中自身十七人の朱書は同じ戦いの記述であり、合算して九十二人としない。
DESCRIPTION
本文内容説明
冨山備中守入道は、中務家久に付けられ、佐土原で家老を務め、三百石を所持した。天正六年に大友勢が日向へ攻め入ると、忠平公の命で酒瀬川奉膳兵衛とともに敵の通路に伏兵を置き、七十五人を討ち取ったと記す。朱書は、その戦いで備中自身が十七人を斬ったと伝える。両記事の人数は合算しない。慶長十九年四月十九日没。法名は蘭慶常香居士、墓は福昌寺内と記されるが、寺内墓所の小字は判読を留保する。子孫として冨山伝内左衛門を挙げる。父母・生年・没地はこの記事に記されない。
系譜・人物関係
子孫として冨山伝内左衛門を挙げる。中務家久に付けられる。父母・生年の記載なし。隣接する冨山勘解由左衛門義信は別の独立記事。
奉公・役職
中務家久に付けられ佐土原家老。三百石所持。
軍役・事績
天正六年大友勢日向来攻、忠平公の命で酒瀬川奉膳兵衛と伏兵を置き七十五人討取。朱書は本人十七人斬ると伝え、合算しない。
生没・法名等
慶長十九年四月十九日没、蘭慶常香居士。墓は福昌寺内、寺内小字は翁心軒様で留保。生年・没地の記載なし。
- 統合人物ID
- HP-1907
- 原人物ID群
- 03-055-04-02
- 氏・分類
- 冨山
- 掲載巻頁
- 巻之三55頁
- 主題・活動
- 家老・軍役・伏兵
- 人物関係要約
- 子孫として冨山伝内左衛門を挙げる。中務家久に付けられる。父母・生年の記載なし。隣接する冨山勘解由左衛門義信は別の独立記事。
- 検索キーワード
- 冨山備中守入道/富山備中守入道/中務家久/佐土原/家老/三百石/忠平公/酒瀬川奉膳兵衛/大友/日向/伏兵/蘭慶常香居士/福昌寺/冨山伝内左衛門
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊55頁・墓所拡大照合済。軍功人数と寺内小字の留保を明示。
- 公開判定根拠
- 家老職・伏兵戦・没年月日法号墓所を確認。寺内小字と人名同定の留保を注記して公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 冊子55頁上段左端の一冨山備中守入道から下段右端の慶長十九年没・蘭慶常香居士・福昌寺内墓所まで通常AI各全2頁で連続。酒瀬川奉/膳兵衛と朱書の末尾斬ルが段・列間をまたぐ。前の遠矢軍兵衛、次の冨山勘解由左衛門義信は含まず、PDF変更・新規採番は不要。
- 判読保留
- 福昌寺内墓所の小字は翁心軒のように見えるが字形を留保する。墓所所在地を没地としない。/酒瀬川奉膳兵衛は上下段をつないだ人名。読み仮名と他史料との同定は未確認。/七十五人討取と備中自身十七人の朱書は同じ戦いの記述であり、合算して九十二人としない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』