← 『本藩人物誌』人物検索へ戻る
HP-1893巻11:210公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

島津忠栄

異名・検索語:島津忠栄/島津中務大輔忠栄/三郎四郎/貴宗公胤大禅定門

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

島津中務大輔忠栄は三郎四郎と称し、喜入摂津守忠続の長子。母は伊集院下野守久治の娘で、慶長二年(1597)生まれ。豊久が戦死して直子がなく、慶長九年に弟の源七郎忠直へ家督が命じられたが、忠直が病身のため、その長女を妻として豊久の後嗣となり、忠直は隠居した。慶長十九年夏、君命を受けて駿河・江戸へ聘問し、藤崎公綱が副使を務めた。寛永元年(1624)二月十七日に二十八歳で早世。法名は貴宗公胤大禅定門。没地・死因は記載されない。

系譜・人物関係

喜入摂津守忠続長子。母伊集院下野守久治女。豊久後嗣、豊久弟の源七郎忠直長女を妻とする。妻の母は上井覚兼女であり忠栄本人の母とはしない。義虎四男の同名忠栄HP-1300とは別人。

奉公・役職

慶長九年に家督を命じられたのは忠直。病身の忠直が隠居し忠栄が豊久後嗣となるが、その就任年を九年と断定しない。慶長十九年夏、君命を承け駿河・江戸へ聘問、副使藤崎公綱。君の実名は本条不記載。

軍役・事績

本人の軍役・戦功は本条に記載なし。豊久戦死は相続の事情で忠栄の戦功ではない。慶長六年佐土原召揚の小字は忠直伝への参照で、忠栄本人の移動としない。

生没・法名等

慶長二年丁酉生。寛永元年二月十七日早世、年二十八。法名貴宗公胤大禅定門。本人の没地・死因・葬所は記載なし。妻小字は慶長二年生、母上井覚兼女、寛永元年十一月二十六日卒。妻の生没・法名注を本人と分離。

統合人物ID
HP-1893
原人物ID群
11-210-01
氏・分類
島津
掲載巻頁
巻11:210
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
喜入摂津守忠続長子。母伊集院下野守久治女。豊久後嗣、豊久弟の源七郎忠直長女を妻とする。妻の母は上井覚兼女であり忠栄本人の母とはしない。義虎四男の同名忠栄HP-1300とは別人。
検索キーワード
島津忠栄/中務大輔/三郎四郎/喜入忠続/伊集院久治/島津豊久/源七郎忠直/後嗣/駿河/江戸/聘問/藤崎公綱/慶長二年/慶長十九年/寛永元年/貴宗公胤大禅定門
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
旧AI全1頁と原冊子第3分冊32頁(冊子210頁上段)を視読。左端に次の久雄条の断片を認め、右端の前人物末尾も入らない位置へ再裁断。旧版保存後、確認用・AI用各1頁を差替え、修復版全頁を確認。妻の小字注を保持。既存IDを維持し新規採番なし。
判読保留
本人法名の初字を貴と確認し保留を解消。妻の法名小字はなお慎重に扱い公開説明へ採らない。慶長九年家督付与の主語は忠直、忠栄の後嗣成立年は断定しない。確定した出自・相続事情・聘問・生没・法名で公開可。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』