HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
林仙朝坊景福
異名・検索語:林仙朝坊景福/仙朝坊/景福/朴氏
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
公開可
景福を初名とする説、朝鮮での名だろうとの推測は史料自体の注記であり、確定した命名事情とはしない。捕縛地・渡来の正確な年・小島の比定・本人の没月日と没地は記されない。
DESCRIPTION
本文内容説明
朝鮮出身の朴氏。朝鮮征伐の際、十六歳で捕らえられて薩摩へ来て、竜伯公(島津義久)に仕えた。義久の病気に際し、小島で千日独居の願を立て、大峰入峯や霧島の火井での侍宿により延齢を祈った。慶長十六年、義久の死去に伴い自殺して殉死し、三十四歳。権大僧都法印と記し、廟前の殉死石塔は十五番目という。辞世二首を載せる。子の林仲右衛門鎮澄は惟新公の姫「御下様」に召し付けられ奉公し、子孫は佐志にいた。見出し小注は景福を初名とする説と、朝鮮での名だろうとの推測を記す。巻十二の道釈伝も朝鮮人で義久への殉死者とする。
系譜・人物関係
朝鮮出身の朴氏。子は林仲右衛門鎮澄で惟新公の姫「御下様」に奉公。子孫は佐志にいた。
奉公・役職
本人は竜伯公(義久)に奉公。権大僧都法印と記す。惟新公の姫への奉公は子鎮澄の記事。
軍役・事績
朝鮮征伐時、十六歳で生捕られ来薩。義久の病気に際し小島千日独居の願、大峰入峯、霧島の火井に侍宿して延齢祈願。慶長十六年殉死。
生没・法名等
慶長十六年、義久死去に際して自殺・殉死、三十四歳。御廟前殉死石塔十五番目。辞世二首。本人の没月日・没地は記されない。
- 統合人物ID
- HP-1858
- 原人物ID群
- 02-023-03/12-231-18
- 氏・分類
- 林
- 掲載巻頁
- 巻二:23/巻十二:231
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 朝鮮出身の朴氏。子は林仲右衛門鎮澄で惟新公の姫「御下様」に奉公。子孫は佐志にいた。
- 検索キーワード
- 林/仙朝坊/景福/朝鮮/朴氏/義久/小島/大峰/霧島/火井/殉死/十五番目/林仲右衛門鎮澄
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 2記事各全1頁・通常版各全1頁・原冊23/231頁を追加確認済み。
- 公開判定根拠
- 両記事の同名・朝鮮出身・義久殉死が一致。来薩経緯・延齢祈願・没年年齢・石塔・子孫を確認。初名に関する史料の推測は推測として紹介する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全2記事追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 巻二の林仙朝坊景福見出しから子孫佐志ニ有之まで、巻十二の同名見出しから義久公殉死までを通常・AI各全1頁と原冊で照合。子鎮澄は関連家族記事で新番号不要。巻十二の下方の雑点を新記事としない。隣接人物の本文混入・欠落なし、既存ID・PDF維持。
- 判読保留
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出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』